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カトリック戸塚教会へ
Welcome to Totsuka Catholic Church!
主日ミサ: 土曜日 16:00, 日曜日 10:30
平日ミサ: 火曜日~木曜日 9:30
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SUNDAY MASSES:
Saturday 4:00PM, Sunday 10:30AM
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2026年8月23日 年間第21主日
マタイ16:13-20 私は、イエス様を意識し大切にすること、そのために私たちが出来ることの一つとして、毎日イエス様に呼びかけ、イエス様と対話していくことの大事さを思います。それを皆さんも大事にして、実践してくださるとよいなと思っています。ある人にとっては、イエス様の存在は遠い2千年前のことであり、イエス様を信じてはいても、現代という時代の中で直接イエス様の存在を感じたり、語りかけたりするのは難しいのではないかと感じる人は多いと思います。教会に来ても、そのことが直接イエス様の心に触れていくことにつながっていかない。イエス様の存在をどこか遠い存在に思えてしまう。そのように感じている人は結構多いのではないでしょうか。 世の中には本当の救いを求めている人は多いです。でもそれが直接、神の子であり救い主であるイエス様につながることができていないことも事実です。その現実を見つめながら、今日の福音の中で私たちが耳にしたイエス様の言葉、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」という問いに、私たちはどう答えることができるでしょうか。ただ言葉で告白す

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1 日前読了時間: 4分
2026年8月16日 年間第20主日
マタイ15:21-28 皆さんは、この8月をどのように過ごしておられるのかなと思います。暑い毎日が続いていますが、私たちが普段経験する様々な出来事を通して、神様が語ってくださる神様の思いを感じることができたらと願います。 今日の福音は、娘を助けてほしいと願うカナンの女性に対して、イエス様が「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」そして「子どもたちのパンをとって子犬にやってはいけない」と言われる私たちにとって理解が難しい箇所です。そしてまず言えることは私たち人間が神様の救いの計画全てを理解し把握することはできないということです。 よく問われることは、どうして神様はイスラエルという民族をお選びになられたのかということです。イエス様もイスラエル民族の一人としてダビデ家の血筋をとる形で誕生されています。その神様がお選びになられたイスラエル民族は歴史の中で見れば、とても弱く小さな民族であったことがわかります。すべての人類の救いを望まれる神様が、その救いの器として最初にお選びになられたのは、その弱く小さなイスラエル民

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8月15日読了時間: 5分
2026年8月9日 年間第19主日
マタイ14:22-33 今日の福音は、イエス様が5千人もの人々を食べて満腹させられた後、一人祈るために山に登られたところから始まります。イエス様はなぜ一人で祈るために山に登られたのでしょうか。そしてイエス様にとって祈りとは何を意味したでしょうか。イエス様の祈りは、御自分の父である天の父に心を向けることだったと思います。御自分にとって一番大切な方である天の父に何でも話し、相談し、御自分がこれから行うこと、人々に伝えることを確認しておられたのだと思います。イエス様は、御父の了解なしに何もなさいませんでした。イエス様にとって天の父は特別な方であり、一番の理解者だったと思います。天の父と何でも話し、天の父の思いを行うことがイエス様の使命でした。 そのイエス様は湖の上で強い風と波に漕ぎ悩んでいる弟子たちのもとへ湖の上を歩いて近づいていかれます。湖の上を歩いて弟子たちの元へ近づいていかれるのは、イエス様がただの方ではなく、神の子であることを表しています。しかし弟子たちはイエス様のことを幽霊だと思い、恐れを感じてしまいます。私たちももし同じ状況にいたとしたら、

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8月9日読了時間: 4分
2026年8月2日 年間第18主日
マタイ14:13-21 今日私たちが聞いた福音は、イエス様が5つのパンと2匹の魚を用いて5千人の人々を満腹させられたというものです。私たちは普通この出来事を耳にすると、そんなことあるはずがないとか、イエス様は神の子である方だから、その気になればそういうこともおできになるだろう、そんな感じを覚えます。でもイエス様がこの出来事を通して私たちに伝えたいものがあるとしたら、それはただイエス様が神の子だから奇跡に思えることもおできになるということではないと思います。ある人たちはイエス様のなさったことを奇跡としてとらえることをしないで、この場面も実際には人々がそれぞれ持っていた食べ物を皆が出し合ったら十分皆が食べて満腹するだけの食べ物があったのだとみる人たちもいます。そしてやはり食べ物は分かち合うことが大事なのだという結論に導こうとします。 でも実際はどうだったのでしょうか。イエス様も弟子たちもここが人里離れた所でこのまま夕暮れになってしまったら、皆食べ物のことで困ることになることは十分わかっていたと思います。実際に弟子たちはイエス様に言います。「こ

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8月2日読了時間: 5分
2026年7月27日 年間第17主日
マタイ13:44-52 私は朝起きると、まず最初に天の父とイエス様と聖霊に今日も一日お守りください。私と共にいて、共に働いてくださいと語りかけています。そうすることで今日1日を、イエス様と聖霊と共に天の父に心を向けて過ごすことができるように願っています。 今日の第一朗読に登場するソロモンは、父ダビデ王の後を継いで、イスラエルの王となった人です。王として働く前にソロモンは夢の中に現れた主にただ一つのことを願い求めました。それは、人々を正しく導くことができる真の知恵でした。そしてその願いは、神様の心に適いました。主はソロモンに言われます。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命を求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える。」私たちも人生を生きる中で様々な願いを持っています。でも私たちが願わなければならないものがあるとしたら、それはこのソロモンが求め願った神の知恵かもしれません。この世を生きる上で正しい判断ができる知恵、真の知恵。この神の知恵をまず求め

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7月27日読了時間: 4分
2026年7月19日 年間第16主日
マタイ13:24-30 今日第一朗読で朗読された知恵の書で示されているのは、「神は全き権能を信じない者に御力を示され、知りつつ挑む者の高慢をとがめられる。力を駆使されるあなたは、寛容をもって裁き、大いなる慈悲をもってわたしたちを治められる。」ということです。これは、神様は神の全能を信じない者に力を示され、神に挑戦する者の高慢をとがめられる。しかしその神様がなさる裁きは、寛容で大いなる慈悲をもった裁きであり、神様は一息で神に逆らう者を滅ぼす力を持っておられるけれども、その力をむやみに用いることをなさらないということです。神様はいつも大いなる忍耐を持って、人間が心を神に向け直すことをずっと待っておられます。これが知恵の書で書かれていた内容です。 この神様の思いは、今日の福音のイエス様がなさったたとえ話でも示されています。この世の中には、イエス様のたとえに出てくるようによい麦と毒麦の両方が混在しています。そして人々はたとえに出てくる僕たちのように、毒麦は抜き集める必要があると考えます。しかしイエス様はよい麦も悪い麦も両方育つままにしておくように

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7月20日読了時間: 4分
2026年7月12日 年間第15主日
マタイ13:01-9 イエス様は神の子としてこの世に御父から遣わされて来られました。そしてそこには二つの目的がありました。一つは傷つき倒れ力を失っている人々を力づけ、励ますこと。それによって人が立ちあがって天の父が望まれる道を歩むことを願われたことです。そしてもう一つは、私たちが御父へ向かい、御父につながるための道を明らかにするということです。私たちと共にいて、私たちが御父に向かって歩み生きるその中に、真の喜びと私たちの救いがあることを表してくださったのがイエス様です。そのイエス様の思いは今も変わっていないと思います。 今日の第一朗読と福音で共通するテーマは、それを行うことが無駄であるか無駄ではないかということにあります。第一朗読のイザヤの預言では、「雨や雪も、ひとたび天から降れば、むなしく天に戻ることはない。・・そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ、わたしが与えた使命を必ず果たす。」とあります。神様の口から出る言葉は、むなしく戻ることは決してありません。必ずその望みを成

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7月11日読了時間: 5分
2026年7月5日 年間第14主日
マタイ11:25-30 これは自分の経験から言えることですけど、何かうまくいかないことやつらいことを経験した時、そのことをただやり過ごすよりも、そのつらい状態が変わらなくても、何かそこに大事な意味を見つけることができたり、神様とのつながりの中で、神様がそのことをわかってくださっていると感じられる体験をしていくとき、そのことが一番力になる気がします。 神様御自身にふれる体験を通して、生きる意味を見出していくこと。神様の慈しみのまなざしに心の目を向けて、つらいことや苦しいことに出会っても、神様に心を開いて、神様に何でも話して歩んで行くこと。 私たちの本当の力の回復は、神様にふれて、神様の呼びかけに応えて歩もうとする時与えられるものです。ただじっとして何もしないのではなく、私たちの本当の力の回復を願ってくださる神様につながって、自分の力を人々のために使っていくとき、私たちは本当の意味で元気になり、喜びに満たされるのだと思います。 今日のミサの朗読で、第一朗読のゼカリヤの預言と福音書には共通するものがあります。それは、神の元から来られるメ

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7月4日読了時間: 4分
2026年6月28日 年間第13主日
マタイ10:37-42 主日のミサではいつも3つの聖書箇所が朗読されます。そして最初の第一朗読と福音箇所はある共通のテーマで選ばれています。そして今日の共通するテーマはもてなすということです。第一朗読で読まれた列王記では、預言者エリシャをもてなした一人の裕福な婦人が登場します。彼女はエリシャを引き止め、食事を勧め、小さな部屋を作ってもてなします。それはエリシャを聖なる神の人であることを認めているからです。その婦人に神様はエリシャを通して子どもを授けるという祝福を与えられます。神様から与えられた使命を果たす人をあたたかく迎えもてなすこと。それは神様の思いにかなっているということをこの出来事は表しています。 福音ではイエス様は言われます。「はっきり言っておく。わたしの弟子だという理由で、この小さな者の一人に、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人は、必ずその報いを受ける。」イエス様の弟子に対して、冷たい水一杯でも飲ませてくれる人に、イエス様は報いを約束されます。それはイエス様から遣わされて働く弟子たちの使命が尊く、大事なものだからです。同時に弟子たちも自分

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6月28日読了時間: 5分
2026年6月21日 年間第12主日
マタイ10:26-33 私たちは、人に対して厳しいことや難しく思われることを伝えることは簡単ではないと感じます。人が喜ぶことだけを話すだけでよかったら、どんなに簡単かと思います。しかし現実はそのようなことばかりではありません。 旧約時代に活躍した預言者と呼ばれた人たち。預言者は天の父からの言葉を預かり、それを人々に伝えました。そしてその多くの言葉は回心を求めるものでした。今の生活を改め、心を神様に向け直しなさい。神様の思いを生きるように努めなさい。しかし人々は預言者たちの語る言葉に耳を傾けませんでした。傾けないばかりか、迫害しました。今日の第一朗読に登場するエレミヤもそのような預言者の一人でした。エレミヤは言います。「わたしには聞こえています。多くの人の非難が。」「わたしの味方だった者も皆、わたしがつまずくのを待ち構えています。」エレミヤはそのような状況の中で、天の父に向って「万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め、見抜かれる方よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け、お任せします

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6月20日読了時間: 5分
2026年6月14日 年間第11主日
マタイ09:36-10:8 以前読んだカトリック新聞に、ドイツのカトリック教会、信者と収入の大幅減少で資産3分の1放棄の危機という記事が載っていました。ドイツは今、教会に来る人が急激に減っていて、司祭召命、信者の数の着実な減少、そして収入減が続いて、多くの小教区、修道院の閉鎖が余儀なくされているということです。この傾向はドイツに限らず他のヨーロッパ諸国でも見られるということです。 私はこの記事を読みながら、日本の教会の現状はどうだろうかと考えます。特に人口減少が進んでいる地方の教会や信徒数が少ない小教区は将来維持するのが困難になることが予想されます。 かつて荒廃した日本の地に多くの宣教師が訪れ、日本各地に教会が建てられていきました。その頃洗礼を受けられた方々が年を取られ、外人の神父様方も高齢になられて帰国されたり亡くなられたりしています。かつて若かった方々が年を取られ、存続の危機が起きているということです。 このような現実に目を向けることなく、成り行きにまかせる態度を取る人も多いと思います。信徒もいなくなり、建物も古くなって維持ができなくなれば、

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6月14日読了時間: 4分
2026年6月7日 キリストの聖体の主日
ヨハネ6:51-58 「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」イエス様が言われる「このパンを食べる」には2つの意味が込められていると思います。その一つは文字通りイエス様の体としての御聖体を拝領すること。そしてもう一つはイエス様の心を自分が実際に生きることです。 かつてマザーテレサは、自分は1日に2度イエス様の体を拝領すると言われたことがあります。マザーテレサは1日の始まりに行われる朝のミサをとても大切にしておられました。そして特にそのミサの中での聖体拝領をとても大事にしておられました。マザーテレサはイエス様の体である御聖体に対して特別な思いを持っておられたと思います。イエス様の体である御聖体を拝領することでイエス様と一つになる。それがどれほど大きな恵みであるかマザーテレサは知っておられました。イエス様との一致なしに自分はイエス様の心を生きることはできないと深く心に刻んでおられたと思います。同時にマザーテレサは、その1日をイエス様の心で生きることも大切にしておられました。御聖体を拝領することでイ

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6月6日読了時間: 8分
2026年5月31日 三位一体の主日
もし皆さんが子どもたちに神様ってどのような方かについて話すとしたら、どのように話されるでしょうか。神様は目に見えないけど、私たちといつも共にいて下さる方、私たちの幸せを願って導いてくださる方、そのように話すことができるかもしれません。そして神様のことを話すとき、私はその手がかりとして神の子であるイエス様のことから話を進めていくと、話しやすいのではないかと思います。 神様は私たちの目でその姿を直接見ることはできません。でも2千年近く前、イエス様がこの世に来て話をしてくださり、力ある業を行ってくださったことによって神様の姿と心を表してくださいました。イエス様は、私には父がいるとおっしゃられ、御自分の父である方、天の父についてたくさんの話をしてくださいました。神の子であるイエス様が伝えてくださったから、私たちは天の父がどのような方か、またどのような心の方か知ることができます。 イエス様にとってもこの御自分の父である方がとても大切な方であり、いつも天の父に向かって祈っておられました。イエス様にとって祈りは御自分の父と何でもお話なさることでした。そ

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5月30日読了時間: 4分
2026年5月24日 聖霊降臨
ヨハネ20:19-23 イエス様は復活され40日に渡って姿を現わされた後、昇天されました。そしてマリア様と弟子たちはしっかりつながって共に祈っていました。そこにイエス様が約束された通り聖霊が注がれました。これが教会の誕生の場面だったということです。 弟子たちは教会の活動を始めるにあたって、聖霊の働きを強く感じました。これまで神から遣わされた者としてイエス様が地上で行なわれてきたことを、これからは弟子たちが引き継いでいくことになります。そして弱い人間である弟子たちがこの使命を生きることができるように聖霊という神の息吹、神の力が与えられます。 イエス様を置いて逃げてしまった弟子たちも、イエス様から聖霊を受けることで、神の愛を証しする者に変えられていきました。そして最後はイエス様と同じように命を捧げました。 イエス様が天の父のもとから送られる聖霊は、人をあたため、励ましと導きを与えます。聖霊は、神に逆らう働きに対して神の光で照らしていきます。深い闇の中にあった弟子たちを真の光の世界に導いたのも聖霊です。そしてその同じ聖霊が現代を生きている私たちにも働き

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5月23日読了時間: 3分
2026年5月17日 主の昇天
マタイ28:16-20 今日私たちは、主の昇天の出来事を記念します。昇天という出来事は、ある意味でイエス様と弟子たちとの別れを意味したでしょう。天の父はイエス様が復活された後、ずっと弟子たちのもとで姿が見えるかたちで留まり続けることをなさいませんでした。復活されたイエス様が弟子たちのもとから離れて天に向かわれる。でもそれを天の父はあえてなさったのだと思います。 イエス様がこの世に残り続けられれば、もっと大きな業をなさることができたかもしれません。でもそうすれば、弟子たちはいつまでも弟子のままで終わってしまったでしょう。イエス様が全部してくださる。イエス様にまかせて自分達は何もしなくて、ただついていくだけでよい。そのような思いを持ってしまったかもしれません。でも天の父のお考えは、これからは弟子たちがイエス様の働きを引き継ぐことをお決めになります。 イエス様は言われます。「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」これは、こ

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5月16日読了時間: 4分
2026年5月10日 復活節第6主日
ヨハネ14:15-21 今日の福音の中心にあるのは、「あなたがたをみなし子にしておかない。私はあなたがたのところに戻ってくる」というイエスの言葉です。「みなし子」とは、生きていくために頼りとなる親を失ってしまった子どもたちのことです。頼りになる存在を失った状態、弱く無力な状態を表す「みなし子」という言葉を用いながら、イエス様は私たちに「あなたがたをみなし子にしておかない。私はあなたがたのところに戻ってくる」と力強い励ましの言葉を述べてくださいます。 このイエス様の言葉は、最後の晩さんの席でのものです。イエス様は、自分は目に見える形ではもういなくなる、しかし、御自分に代わって聖霊を遣わしていただくように御父に願うことを約束されます。イエス様は聖霊を遣わすために御父のもとに戻られ、これからは聖霊の働きのうちに私たちと共にいてくださることを表されます。 聖霊は私たちのうちに働く神の力のことです。聖霊は私たちのための弁護者、真理の霊として働かれます。その弁護者と呼ばれる聖霊と、復活されたイエス様が目に見えない形で私たちのうちにおられ、私たちを支え導い

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5月10日読了時間: 4分
2026年5月3日 復活節第5主日
ヨハネ14:1-12 私たちが今日聞いたヨハネ福音の箇所は、よく葬儀ミサの時に朗読する箇所です。イエス様は御自分の父の所には住む所がたくさんあって、私たちのために場所が用意できたら私たちを迎えてくださると約束してくださいます。私たちは死と聞くと、誰もが恐れを抱きます。それは亡くなった後どうなるかがわからないからです。でもイエス様の言葉を信じるなら私たちにとって死はこの世からの旅立ちであり、イエス様が用意してくださる場所に向かって希望を持って旅立つということなのだと思います。 イエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われます。心を騒がせる。私たちはどういう時、心を騒がせるのでしょうか。それは、自分の中でいろんなことがうまくいっていない時、心に平安がない時、気にかかる出来事がたくさんある時、そのような時、私たちは心を騒がせます。私たちは普段どんなに心が満たされ、平安に包まれて、喜びを感じて歩むことを願っているでしょうか。でも私たちの現実は、なかなかそうはなりきれていません。その私たちにとってつらく感じる

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5月2日読了時間: 4分
2026年4月26日 復活節第4主日
ヨハネ10:1-10 私たちは今、復活節を過ごしています。そして今日はその4番目の主日です。福音ではヨハネの福音10章が読まれました。この箇所が選ばれているのは、良き牧者として今も生きておられるイエス様と私たちとの関わりを味わうためです。イエス様は言われます。「羊はその声を聞き分ける。羊飼いは自分の羊の名を呼んで連れ出す。自分の羊をすべて連れ出すと、先頭に立って行く。羊はその声を知っているので、ついて行く。しかし、ほかの者には決してついて行かず、逃げ去る。ほかの者たちの声を知らないからである。」 イエス様は御自分を羊飼いにたとえておられます。そして良い羊飼いは羊をすべて連れ出して豊かな命へと導いていきます。このイエス様の言葉の中で私は「羊はその声を知っている」という言葉に目がとまります。私たちが何かを知っていると言うとき、それは知識を持っているというより、実際に経験を通してすばらしさを味わったことがあるという意味です。私たちが何かについて知識として知っていることと実際に体験を通して知っていることとはやはり違いがあると思います。...

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4月26日読了時間: 4分
2026年4月19日 復活の第3主日
ルカ24:13-35 私たちは今、イエス様が復活されたその喜びを味わう復活節を過ごしています。そしてそのイエス様が復活された出来事と自分がどうつながることができるか、どうつながっていったらよいか、そのことが今生きている私たちに問いかけられていると思います。イエス様は確かに復活されました。そして喜びの知らせを伝えてくださいました。しかしその出来事と今の自分がどうつながることができるのだろう。このような問いは、誰もが感じる正直な問いであり、そしてとても大事な問いです。ただ漠然とイエス様の復活の出来事を思うのではなく、この自分にとっても関係してくる大きな出来事だと思えるようになっていく。そのことが私たち一人ひとりに呼びかけられています。 今日の福音の場面で登場するエマオへ向かっていた二人の弟子は、失意のうちだったと思います。イエス様の十字架の死は、弟子たちのつながりを壊してしまうほどの大きな出来事でした。この二人の弟子は他の仲間から離れ、二人だけでエルサレムを後にしてエマオへ向かって旅立ちます。彼らの心には、もうエルサレムにとどまっていても仕方

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4月19日読了時間: 4分
2026年4月12日 復活の第2主日
ヨハネ20:19-31 イエス様が十字架につけられて息を引き取られた後、弟子たちは恐怖におびえ、1つの家に閉じこもって、中から家の戸に鍵をかけて災いが過ぎ去るのを待っていました。この家の戸は、彼らの心の戸を表していると言えるかもしれません。弟子たちは恐れから心を閉ざし、現実から離れて閉じこもっています。そんな弟子たちの中に、復活されたイエス様が現れ、弟子たちの「真ん中に」立たれます。そして弟子たちへの最初の言葉が「あなたがたに平和があるように」という言葉でした。 イエス様を捨てて逃げてしまった弟子たちに、イエス様が語られた最初の言葉は、彼らの弱さを責めるものではなく、彼らの平和を願ってくださる言葉でした。弟子たちはそのイエス様の言葉によって勇気づけられました。そして喜びに満たされました。「あなたがたに平和があるように。」とても深みがあり、心の奥からこだまするような響きをもった言葉です。この平和が恐れを喜びに変えます。 少しその時の状況を見てみたいと思います。弟子たちが求めていたのは自分たちの身の安全だったでしょう。「弟子たちはユダヤ人を恐れて」(

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4月12日読了時間: 5分
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