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クリスマス~新年のミサスケジュール
☆主の降誕 夜半ミサ ・・・ 12/24(水)19:00~
☆主の降誕 日中ミサ ・・・ 12/25(木)10:30~
☆神の母聖マリア祭日 ・・・ 1/1(木)11:00~
ようこそ
カトリック戸塚教会へ
Welcome to Totsuka Catholic Church!
主日ミサ: 土曜日 16:00, 日曜日 10:30
平日ミサ: 火曜日~木曜日 9:30
金曜日 10:00
4/27から日曜日のミサが10:30に変わりました
SUNDAY MASSES:
Saturday 4:00PM, Sunday 10:30AM
WEEKDAY MASSES:
Tuesday to Thursday 9:30AM
Friday 10:00AM
From April 27th, Sunday Mass has changed to 10:30 AM.

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2025年11月30日 待降節第1主日
マタイ24:37-44 今日から待降節が始まります。「待降節」という言葉はその字が表しているように「主の降誕を待つ季節」という意味です。そしてクリスマスを迎えるための心の準備をするという意味で祭服の色も紫になります。今年もこの待降節の時を大事にしてよき心の準備ができますように祈りましょう。 教会の典礼は、待降節から新しい1年が始まります。そして教会が教会にとっての1年の最初の主日に選んだ聖書のイエス様の言葉は「目を覚ましていなさい」という言葉です。この「目を覚ましていなさい」とは言葉を言い変えるなら、意識していなさいということです。そして大事なことは、やはり何を意識しているかということです。待降節に入った最初の主日の聖書朗読は、いわゆる救い主の誕生についてはふれていません。それより、「人の子」、すなわちイエス様が再び来られる日、この世の完成の時を待つことが語られています。イエス様は私たちに、終わりの日が必ず来ることを断言され、それがいつであるかわからないから、「目を覚ましていなさい」と言われます。そして、用意している者、常に目覚めている者

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11 分前読了時間: 4分
2025年11月23日 王であるキリスト
ルカ23:35-43 今日私たちは、典礼の1年の締めくくりとして王であるキリストの祭日を祝います。そして福音では十字架に上げられたイエス様の姿が描かれます。このイエス様こそ真の王であることを私たちも高らかに宣言したいです。 人が、司祭として叙階されるとき、その記念として叙階のカードを作る習慣があります。そのカードの表には何か記念になる御絵とか写真を選び、裏には自分が選んだ聖書の言葉を記すことになっています。 私はある時、一人の司祭の叙階式に与ったとき、その方が準備したカードを受け取りました。そしてはっとするものを感じました。その方が準備した叙階のカードの表には、実際に使われた本物の踏み絵のイエス様の写真が使われていました。イエス様が十字架に架けられた姿が銅板に刻まれていて、その上にたくさんの人々の足がのせられたことでしょう。イエス様のお顔も体も擦り切れて、顔はのっぺらぼうのようになり、胴体の部分もすりへっていました。 私はその叙階のカードを受け取ったとき、「ああ、踏み絵か」ぐらいにしか思いませんでした。でも後になって、よくその叙階

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11月22日読了時間: 5分
2025年11月16日 年間第33主日
ルカ21:05-19 教会の典礼の暦も来週の王であるキリストの祭日をもって典礼の暦の1年を締めくくります。この教会の暦を締めくくる時にあたって、イエス様が呼びかけられることを大事に心に留めてミサを捧げたいと思います。 現代という時代でも、今日の福音に述べられるような戦争、暴動、地震、飢饉、疫病など近年世界で現実に起こっている具体的な出来事や災害を直接世の終わりと結びつけて解釈する人たちがいます。しかし私たち人間が世の終わりについて予告したり、明確な形で述べることはできません。またイエス様がおっしゃっていることも決して世の終わりの恐ろしさを強調するものではないのです。私たちが今をどう生きたらよいか、その示唆を与えておられるのです。私たちには復活に与るという希望が神様から与えられています。その希望に向かって歩むためにイエス様は信頼と忍耐の必要を訴えておられるのです。 イエス様がこの世におられた間に一応の完成を見たエルサレム神殿は人々が見とれるほどに立派になりました。しかしそれが完全に崩れ去る日が来るだろうとイエス様は予告されます。そして神

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11月15日読了時間: 4分
2025年11月9日 ラテラノ教会の献堂
ヨハネ02:13-22 今日はローマのラテラノに建てられ、ローマと世界のすべての教会の母と呼ばれたラテラノ教会の献堂の祝日にあたります。この祝日に全世界の教会が心を合わせて、神様から委ねられている教会の果たす役割に心を向けることができますように祈りたいです。 教会の役割って何かなと思います。教会、それは目に見えない神様との出会いの場であると言えます。一人ひとりが目に見えない神様と出会っていく場。それが教会であるということです。 今日の福音でイエス様は、「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言われます。羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒されながら言われました。たぶん福音書の中で他に見られないほどのイエス様の熱く力のこもった言葉だったと思います。なぜイエス様はこれほどまでして神殿を清めようとされたのでしょうか。そこにはイエス様が示される真の神殿、真の神の家のあるべき姿への熱い思いが示されているからだと思います。 人々は習慣として動物のいけにえを捧げ、神様に祈りを

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11月7日読了時間: 4分
2025年11月2日 死者の日ミサ
私は司祭になってよかったなと思うことの一つは、人の死に向き合うことができるということです。私は司祭になって今まで何人の方々をお見送りしてきたのかなと思うことがあります。正確に数えたことはありません。でもたくさんの方々の葬儀をさせていただいてきたことも事実です。そしていつも葬儀を終えた時、自分の心の中に残る思いは、この葬儀に関わることができて本当によかった、ありがたかったという思いです。祈りを共にできてよかった、お見送りを一緒にさせていただいてよかった。疲れは残りますが、疲れを超えて心が満たされる思いを何度もしたことがあります。 ある方とは、死が近いという状態の中でお話をさせていただいたこともあります。死という私たちにとって大きな現実に対して、どう向きあったらいいか。私たちは死を前にするとき、自分の小ささ、無力さを実感します。でもそれはとても大切な気づきなのだと思います。その無力さの中で、心からイエス様の存在を求める。イエス様にどうかこの私と共にいてください、私の側にいてくださいと願い祈る。その祈りがとても大事です。 私がよく思うことですが

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11月1日読了時間: 4分
2025年10月26日 年間第30主日
ルカ18:09-14 今日の福音で「自ら正しい人間である」と自分を誇ったファリサイ派の人が神様から退けられ、逆に自分の罪深さを素直に認めて神様に憐れみを求めた徴税人が義とされます。ファリサイ派の人は自分でも語っているように、律法という掟の面では非の打ちどころのない生活を送っていたでしょう。しかし神様はその「自ら正しい人間である」と誇ったファリサイ派の人を退けられます。 なぜそうなってしまったのか。そこにはいくつかの理由が考えられます。その一つは、彼が遠くに立って祈っている徴税人を指して私が「この徴税人のような者でないことを感謝します」と祈ったことにあります。もし彼が「私のことは構いませんから、先にあの徴税人を顧みてあげてください」と祈っていたら、違う結論になっていたでしょう。このファリサイ派の人の過ちは、自分が他の人たちのようなものではないことを感謝しますという他の人と比べて自分の正しさを誇るその心の態度でした。 ファリサイ派の人が神様から退けられたもう一つの理由は、「わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています」と、自分の

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10月26日読了時間: 4分
2025年10月19日 年間第29主日
ルカ18:1-8 イエス様は、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、今日の福音のたとえ話を話されました。ここでのイエス様が求めておられる絶えず祈る祈りとはどのような祈りでしょうか。 私たちはふつう祈りと聞くと何かを願うことだととらえがちです。また祈りでなくても、教会に来ることを考えるとき、多くの人が教会を訪れるのは、やはり自分の願いを神様に聞いていただきたいというのが一番大きい理由だと思います。でもその神様に向ける祈りを単なるお願いで終わってしまっていいのだろうかと考えます。イエス様が私たちに求めておられる、イエス様が望まれる祈りというものがあるのではないでしょうか。 イエス様が望まれる祈り、それは私たちがもっとイエス様の思い、望みに耳を傾けていくことです。自分の思い、望みをイエス様に伝えるだけで終わるのでなく、私たちもイエス様の望みを聞いていく姿勢を大事にすることです。イエス様が今、私たちにどのような望みを持っておられるか、そのことを意識していくことです。今、私たちが置かれている状況、そして世界中の人々が置かれ

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10月18日読了時間: 4分
2025年10月12日 年間第28主日
ルカ17:11-19 重い皮膚病を患っていた10人の人がイエス様によって清められます。重い皮膚病は特に苦しみが大きいものです。私は以前、修練者だった時、静岡県御殿場にある神山復生病院で、1ヶ月の実習をさせていただいたことがあります。そこで療養されている人々との出会いの中...

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10月12日読了時間: 4分
2025年10月5日 年間第27主日
ルカ17:5-10 イエス様は畑で働く僕が仕事を終えて帰ってきた後、その僕が自分を雇ってくれている主人の夕食の準備をすることを話されます。畑で仕事をして疲れて帰ってきて、さらに続けて主人の夕食の準備を僕がすることは、きっと重労働だったでしょう。でもイエス様は、僕は自分に...

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10月4日読了時間: 4分
2025年9月28日 年間第26主日
ルカ16:19-31 今日は「世界難民移住移動者の日」で、そのために献金が捧げられます。この世界で難民として、また自分の故国を離れて移住せざるを得ない人々の抱える問題の多くは貧困だと思います。生きてゆくこともままならない貧困のゆえに移住・移動しなければならない人々。富める国...

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9月28日読了時間: 4分
2025年9月21日 年間第25主日
ルカ16:01-13 私たちはこのイエス様がなさったたとえ話を聞くとき、どれくらいの人が納得できただろうかと思います。主人の財産を管理していた者が、その主人の思いに背いていわゆる使い込みをします。それが主人の目にとまり、管理の仕事を取り上げようとします。彼は言います。「...

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9月20日読了時間: 5分
2025年9月14日 十字架称賛
ヨハネ03:13-17 教会の建物の中に初めて入った人がまずどのようにとらえたらよいかとまどうのが、十字架に架けられたイエス様の姿だと思います。教会やキリスト教に対してよいイメージを持っていたとしても、この十字架の姿の意味は簡単に理解できるものではないでしょう。そしてそ...

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9月14日読了時間: 4分
2025年9月7日 年間第23主日
ルカ14:25-33 私は、戸塚教会に来る前は、東京のイグナチオ教会で働いていました。都会の真ん中にあり、多くの人々が集まる教会でした。その教会でミサを司式していて感じたことは、多くの苦しみを抱えてミサに与っている人が多いということです。ミサを司式しながら、自分の肩にと...

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9月6日読了時間: 4分
2025年8月31日 年間第22主日
ルカ14:01、7-14 イエス様は、招待を受けた客が上席を選ぶ様子に気づいて、彼らにたとえを話され、その中で「招待を受けたら、むしろ末席に行って座りなさい。」「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」と言われます。そして同時に「宴会を催すときには、貧し...

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8月30日読了時間: 4分
2025年8月24日 年間第21主日
ルカ13:22-30 私たちの人生の一つの目的は、よき死を迎え、同時に天の父が招いてくださる天での宴に与らせていただくことにあると言えるかもしれません。この世を一生懸命生き、そしてその日がいつかわからないけれど、そしてそのために準備をしなければいけないことを受けとめなが...

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8月24日読了時間: 5分
2025年8月17日 年間第20主日
ルカ12:49-53 皆さんはこの8月をどのように過ごされているでしょうか。私は今、いつもよりも少し自分の時間を取ることができるので、その時間を使って今まで取ってあった資料や記事などを読み返して整理することを行っています。そうすることで、埋もれていた資料や記事の中から大...

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8月16日読了時間: 4分
2025年8月10日 年間第19主日
ルカ12:35―40 現代社会の中で生きる人の多くはあまり信仰とか教会というものに関心を持てていない、また持ちにくいということがあるかなと思います。それは、社会の価値観の方が魅力があって、同時に教会が大切にしていることや信仰の大切さが人々に伝わっていないからだと思います...

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8月9日読了時間: 4分
2025年8月3日 年間第18主日
ルカ12:13-21 コヘレトは言います。「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。」コヘレトがなんという空しさ、すべては空しいと語るのは、正しい生き方をしても、それが必ずしも正しく報われるわけではなく、逆にこの世にあっては悪人が栄えることが起きているからで...

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8月2日読了時間: 5分
2025年7月27日 年間第17主日
ルカ11:01-13 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」これは有名なイエス様がおっしゃった言葉です。そして私たちはこの言葉を聞くと、何でも願えば与えられると信じていいのかなと取り、自分が願い...

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7月26日読了時間: 5分
2025年7月20日 年間第16主日
ルカ10:38-42 私は自分でも変わったなと感じることがあります。それは自分とイエス様とのつながり、交わりです。私は今まで祈りや黙想というものをどちらかというと難しく感じていました。今までの自分は頭で、そして自分の力でそれを行おうとしていたのかもしれません。そしてそれ...

カトリック戸塚教会
7月19日読了時間: 5分
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