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2025年5月18日 復活節第5主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 5月17日
  • 読了時間: 4分

ヨハネ13:31-33a,34-35


私は、教会の小聖堂で静かな祈りの時間を取ることが好きです。小聖堂の中で、十字架のイエス様の御像をじっと見つめる。十字架に架けられたイエス様のお顔をじっと見つめる。そのような時間を過ごしていると、自然とイエス様に自分の思いを伝えることができます。飾らない素直な心で、今自分に必要な力と、イエス様が今日も共にいてくださり、イエス様と心を合わせてよい判断をして歩むことができることを願います。

 

そのような祈りの時を過ごしている中で、私はある事に気づきました。それは、祈りはただ自分の思い、願いをイエス様に伝えるだけでなく、イエス様が今、この自分に何を呼び掛けてくださっておられるのか、その心の声に耳を傾けるということです。そしてある時から、イエス様は私たちにもっと御自分に語り掛けてほしい、イエス様をもっと身近に感じてほしいと望んでおられることを感じるようになりました。私は自分の祈りの最後に必ずイエス様に「イエス様、今日も私と共にいてください。一緒に働いてください」と伝えるようにしています。そうすると自分がイエス様に受けとめられ、イエス様も一緒に働いてくださることが感じられるようになりました。これはとても大きな変化だと感じます。そしてイエス様は私たちにイエス様の思いをもっと人々に伝えるように望んでおられることを感じます。人々が毎日イエス様に呼びかけ、対話するように。そしてそのことによって、自分がすべきこと、大事にしたらよいことがわかるようになるように。

 

今日の福音でイエス様は「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい」と言われます。そして互いに愛し合うことの根拠を「私があなたがたを愛したように」という言葉で示されます。イエス様が与えられる愛の掟の新しさとは、その愛の基準がイエス様が示された愛にあるということです。今までイスラエルの人々にとって掟とは、律法を意味していました。言葉で書き記された掟に従うことが律法を守ることでした。しかし、イエス様は、新しい愛の基準を示してくださいました。イエス様の愛は十字架の上に自分を捧げる愛です。自分を捨て、自分を与える愛です。その愛を私たちも互いに生きなさいと呼びかけられます。

 

私たちは、イエス様が確かに十字架上の死を受け、御自分を与え尽くしてくださり、私たちへの愛を示してくださったことを受けとめています。でも同時に自分がイエス様と同じような愛を生きる難しさも感じています。互いに愛し合いなさいという言葉を何度も聞いていても、必ずしもその愛を生きることができているとは言えない私たちがあります。私たちは自分の力では、イエス様が求められる愛を生きることができないのかもしれません。でも私たちがイエス様を心に留め、イエス様が私の中で働いてくださることを感じることができるようになるとき、自分の意思や力ではできなかったことが、イエス様が共にいてくだることによってできるように変えられます。これは是非自分で体験してほしいと思います。

 

イエス様が示された愛の決定的姿は、十字架にご自分の命を差し出された姿をおいてありません。自分を守ることなく、ぼろぼろになって、それでも十字架に架けられ、命を捧げつくされました。これがイエス様の私たちへの愛です。イエス様が「わたしがあなたがたを愛したように」と言われる究極の愛は、この十字架に捧げ尽くされた愛の姿です。イエス様が受けられた真の栄光、それは傷つきながら、命を与え続けた姿に輝いた栄光でした。

 

私たちはみな、神様を求めています。でも時にそれはこの世的な栄光を神様に祈り求めているのかもしれません。イエス様が十字架に架かった姿で真の栄光を表されているかたわらで、あくまでこの世的な自分を満たす栄光を私たちは祈り求めていないでしょうか。

 

イエス様が私たちに求められる真の愛の姿とは、人を理解し、支える愛でしょう。誰も自分のことをわかってくれないと闇に陥っている人を、受けとめ支えていく愛。そしてその愛の前に、この自分をイエス様が理解し、わかっていてくださっていることを信じることです。私たちは自分の意思、力だけで人を理解し愛することはできません。でももし、自分をイエス様が受け止めてくださり、支えていてくださっていることを心から信じることができるなら、そのイエス様の愛によって私たちは人を理解し受け止めていくことができます。私たちはもう一度イエス様の姿に目を向け、イエス様が示される真の栄光を心に描いて歩みたいと思います。そのような私たちをイエス様はいつでも励まし支えてくださるでしょう。

 

 
 
 

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