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2024年4月21日

復活節第4主日
ヨハネ(10:11-18)

​過去のミサ説教は、ブログ形式のページへ移動しました。

戸塚・原宿小教区管理者
​田丸 篤神父

私たちは今、復活節という時を過ごしています。そしてイエス様が復活されたということが2千年前のことだけでなく、今も、私たちと共にここにおられるということ、お姿を見ることはできなくても、イエス様が私たちと共にいてくださる、そう信じることができるなら私たちにとってもイエス様の復活は大切な出来事になります。イエス様の存在をどこか遠くに思い眺めるだけでなく、自分にとってかけがえのない方として、自分にとって身近な存在としてイエス様のことを思うことができたら幸いです。でも多くの人が、まじめにミサに与っていても、また自分の願いを祈りとして捧げることはできても、イエス様との本当の意味でのつながりを持つことがまだまだ十分ではないと感じていることも本当だと思います。

 

今日の第一朗読の使徒たちの宣教で、ペトロは足の不自由な人がいやされたのはイエス・キリストの名によるものだと断言します。ペトロは足の不自由な人に出会い、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言ってこの人を立ち上がらせ、歩けるようにしました。それはペトロ自身が自分の力でその人の足をいやしたのではなく、イエス・キリストの名が持つ力がその人に働いたのだということです。私たちはこのことを聖書を通して耳にしても、何か遠い夢のような出来事で、現代を生きる私たちには直接関係ないことだと思ってしまうかもしれません。でも直接のかたちではなくても、私たちが日々の生活の中で、もっとイエス様に対して直接にイエス様とその名を呼んで、イエス様に何でも自分のことを話していくなら、私はそのイエス様を思う態度のゆえに、またイエス様の名の持つ力によって私たち自身が変えられていく体験をすることができると信じます。

 

朝、目が覚めた時から、イエス様と呼びかけ、イエス様に自分の思いを伝え一日を始めていくこと。そうするなら必ず自分のあり方に変化が生まれます。私自身、それを実践し自分が変えられていることを体験しています。だから全ての人に呼びかけたいです。イエス様の名を呼び、イエス様と実際に話すこと、それを毎日続けることで自分が変えられていくことを体験することを。そしてペトロが言うように「ほかのだれによっても、救いは得られません。わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」そのことを心から信じることができるように祈りたいです。

今日の福音で私はイエス様の言葉「わたしは良い羊飼いである。わたしは自分の羊を知っており、羊もわたしを知っている」という言葉に目がとまります。そして私たちが何かを知っていると言うとき、たとえば茶道を知っていると言うとき、それは単なる茶道についての知識を持っているということより、実際に茶道を経験したことがある、茶道のすばらしさを味わったことがあるという意味で知っているということだと思います。何かについて知識として知っていることと、実際に体験から知っているということでは、やはり違いがあると思います。私たちは、イエス様に対してはどうでしょうか。私たちはイエス様について知識として知っているのにすぎないのでしょうか、それともイエス様のことを自分の体験から知っていると言えるでしょうか。私たちは復活されたイエス様を直接この目で見ることはできません。しかし、復活されたイエス様は確かに私たちと共にいてくださいます。その共におられるイエス様を実際に知る体験を私たちがしていくことができればと思います。私たちにとって大切なことは、羊が自分の羊飼いの声を知っていて、他の羊飼いの声と聞き分けることができるように、私たちもイエス様の声、呼びかけを聞き取っていくことです。イエス様は今でも私たち一人ひとりに願いを持っておられるのだと思います。私たちが今どんな状態にあったとしても、イエス様は私たち一人ひとりのことを心にかけ、呼びかけておられます。

今日は世界中で召命のために祈る世界召命祈願の日です。召命祈願の日である今日、特に司祭・修道者への招きに多くの若者が応えることができるように心を込めて祈る必要があります。多くの人が感じているように、現代は召命がとても少なくなっています。司祭も修道者もそれを志す人々がとても少なくなっています。それは日本だけの現象ではなく、世界中、特に先進国において見られる現象です。生活が豊かになると、その分、一生を神様と人々に捧げる生き方を選ぶことが難しくなるのかもしれません。

 

神様は今、日本の教会の私たち一人ひとりによく祈り見つめ直すことを求めておられるかもしれません。信仰を何か受け身のようにとらえてしまって、ただお恵みを受けることだけを求めることに終わっていないか、自分から何かを行っていく姿勢をもっと強くしていくことができないか見つめることだと思います。今、もう一度原点に立ち帰って、私たちがなすべきこと、現代を生きる私たちに神様が望んでおられることに耳を傾けていく必要があります。今日の福音でイエス様が話されたように、私たちが良い羊飼いであるイエス様の声を聞き分け、その後をついていくことができるように、今日、世界召命祈願の日のミサに与った者として、真剣に祈り、歩んで行くことを決意したいと思います。

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