マルコ01:21-28
イエス様が人々の前でなさった最初の力ある業、大きなしるしは何だったでしょうか。マルコ福音書が伝えているイエス様が人々の前で最初になさったしるしは、悪霊を人から追い出すことでした。イエス様は、悪霊に向かって「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、悪霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行きます。イエス様が救い主としてこの世に来られた意味は、この世から悪を取り除くためだったと言えます。イエス様は神の子として力ある業を人々の前でなさった中で、その多くは病人のいやし、苦しんでいる人々を力づけ、その人々が天の父に向かって歩むことへ導かれることでした。それでもイエス様が人間の内に働く汚れた霊、悪霊に対して立ち向かわれたことも忘れてはいけません。イエス様の使命は神に反する霊に対して毅然と立ち向かうことでした。
聖霊が私たち人間と神様をつなぐ働きをするとしたら、逆に悪霊は私たち人間と神様とのつながりを切り離す働きをすると言うことができます。現代という時を生きている私たちもやはりこの悪霊の影響を受けています。悪霊は、私たちを神様から引き離す働きをします。神様のことを忘れさせ、同時に人間同士の絆も弱めていきます。それぞれが自分中心になり、人の苦しみや痛みに無関心になり、愛の心が弱められていきます。これらすべて、悪霊がこの世にもたらそうとしている愛に反するものの姿であると言えます。悪霊の一番の狙いが、私たちが神様とつながることがないようにすることであれば、悪霊に対する一番の守りは、私たちがいつもどんな時でも、イエス様とつながり対話していくことです。心を通してイエス様に何でも自分の思いを伝えていく。何でも話していく。せっかく聖堂を訪れたのであれば、イエス様と心の対話をするための時間を取る。イエス様といつも対話している人に悪霊はたやすく近づくことはできません。
私たちは聖霊と悪霊の働き方をよく見分け、悪霊ではなく聖霊に聞き従うことが求められます。そして私たちを真の幸せに導いてくださるのは、悪霊ではなく聖霊の働きによります。聖霊と悪霊に働きを見分けてゆくために、自分の中の心の感情に気づいていくことが大事です。たとえば、私たちを落ち込ませるような働きは聖霊ではなく、悪霊の働きです。聖霊はいつも私たちを励まし、勇気づけてくださる働きをされます。同時に、聖霊は時に私たちをいましめ、何か大切なことに気づかせるために働かれることもあります。でも人を落ち込ませるような働き方は決してなさらないでしょう。悪霊の働きの特徴は、私たちを神様から引き離そうとすること、神様の存在を忘れさせようと働くということです。悪いことでも、これくらい大したことない、誰でもやっている、まじめに生きることはばかばかしいなど、いろいろなかたちで、またその人の弱い点をよく知って、上手に私たちをイエス様と反対の方へ導こうとします。また疲れすぎたり、気力の減退、また過度の緊張は、聖霊ではなく悪霊に従った行動の結果だと言えるでしょう。中々、瞬間、瞬間に聖霊と悪霊の働きを見分けるというようなことはできないかもしれません。でも後から自分の心に残った余韻を丁寧に振り返っていくと、自分はどちらの霊に聞き従っていたのかがわかるようになります。出来事の後で、自分の心の中に落ち着きや喜び、心が満たされている感じが余韻として残るなら、それは聖霊に聞き従うことができたしるしでしょう。そしてそのような行動を大事にしていったらよいのだと思います。何かを選ばなければならないとき、後からやはりあれでよかったのだ、あの選びがきっと聖霊が導いてくださった方だったのだと思えるような選びを大切にしていくことです。
私たちがこの世を歩む限り、私たちの生活から悪霊の働きが無くなることはないでしょう。世の終わりの時まで悪霊は何とか私たちをイエス様から引き離そうと働き続けるでしょう。だから祈らなければなりません。聖霊が注がれ私たちがいつも聖霊で満たされて歩むことができるように聖霊の助けを祈り続けることです。現代という時代の中で悪霊がどう働いているか、どのように私たちをイエス様から引き離そうとしているか、そのことを落ち着いて見つめることが大事です。そして、私たちが悪霊ではなく、聖霊の働き、呼びかけに気づいて、そしてその働きに自分を合わせていくことを通して心の中が満たされていくことを願いたいです。この心の中が聖霊で満たされていくことこそ、本当の意味での安息になるのだと思います。私たちが聖霊の働きのすばらしさにもっと気づくことができるように祈りたいです。そしてイエス様もなさったように、汚れた霊、悪霊に力強く立ち向かって歩むことができるように祈りたいです。私たちの人生の歩みは、最後まで聖霊と悪霊の戦いの歩みです。でも、今日の福音で描かれていたように、イエス様は人間を苦しめる働きをする悪霊を「黙れ。この人から出て行け」と言って追い出してくださる方です。ある意味イエス様にしか悪霊を追い出すことはできないのだと思います。そのイエス様に私たちがしっかりつながって歩むことだと思います。イエス様は今も悪霊に立ち向かわれ、私たちと共に天の父の思いが行きわたる神の国を実現させようとされているのだと思います。
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