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2026年4月19日 復活の第3主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 3 時間前
  • 読了時間: 4分

ルカ24:13-35

 

私たちは今、イエス様が復活されたその喜びを味わう復活節を過ごしています。そしてそのイエス様が復活された出来事と自分がどうつながることができるか、どうつながっていったらよいか、そのことが今生きている私たちに問いかけられていると思います。イエス様は確かに復活されました。そして喜びの知らせを伝えてくださいました。しかしその出来事と今の自分がどうつながることができるのだろう。このような問いは、誰もが感じる正直な問いであり、そしてとても大事な問いです。ただ漠然とイエス様の復活の出来事を思うのではなく、この自分にとっても関係してくる大きな出来事だと思えるようになっていく。そのことが私たち一人ひとりに呼びかけられています。

 

今日の福音の場面で登場するエマオへ向かっていた二人の弟子は、失意のうちだったと思います。イエス様の十字架の死は、弟子たちのつながりを壊してしまうほどの大きな出来事でした。この二人の弟子は他の仲間から離れ、二人だけでエルサレムを後にしてエマオへ向かって旅立ちます。彼らの心には、もうエルサレムにとどまっていても仕方がない。自分たちが信じてついていこうとしていた方は、亡くなってもうおられない。残念に思う。でもこれからは、自分たちで歩んでいくしかないのだ。そんな気持ちでエルサレムを後にしてエマオへ向かっていたのだと思います。そのような中で、復活されたイエス様が彼らにはわからないかたちで、彼らの歩みに寄り添って共に歩んでくださいます。彼らは最初、イエス様だと気づくことはできませんでした。でも心に何か燃えるものを感じて、自分たちと一緒にとどまってくださることを願います。「一緒にお泊りください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と無理に引きとめたので、イエス様は共に泊まるため家に入られます。そして一緒に食事の席に着いてくださいました。そしてその中で彼らの目が開け、イエス様だとわかったのですが、もう姿は見えなくなったということです。でも、この体験がこの二人の弟子を大きく変えました。残っていても意味がないと思っていたエルサレムにもう一度戻って、他の仲間の弟子たちにこの出来事を伝えに行こうと思うようになります。あんなに失望し、力も、希望も失っていたこの二人の弟子が「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合うようになります。

 

復活されたイエス様に自分の方から求めて一緒にとどまってくださいと願っていくこと。これは私たちが日常生活の中でイエス様に向けていく大切な祈りです。復活されたイエス様と自分がどうつながることができるかわからないということも本当かもしれません。それでも、復活されたイエス様に「どうか私たちと一緒にとどまってください」と願っていくこと。繰り返し何度でも願っていくこと。もし私たちがそう願うなら、イエス様はその私たちの願いに応えて一緒にとどまってくださるのだと信じます。

 

私は何か集いのはじめの祈りをするとき、この復活されたイエス様に「どうかこの時間、私たちと一緒にとどまっていてください」と祈るようにしています。そしていつもその祈りの実りを感じています。復活されたイエス様のお姿が直接わかるわけではありません。でも、このイエス様にここに一緒にとどまっていてくださいと祈って始めた集いは、やはり何かが違う気がします。そしていつも心に何か不思議な余韻が残ります。イエス様はやっぱり、私たちの呼びかけに応えてくださり、一緒にこの時間、共にいてくださったのだ。そのことが心に残る余韻でわかります。

 

復活されいつまでも共にいてくださるイエス様と日々出会っていくこと。イエス様が私たちの中に共にいてくださることを体全体で感じ取っていくこと。それが私たちに呼びかけられています。そしてその心が燃える体験を、共に分かち合うことができる仲間に互いがなっていくことです。二人の弟子たちはエルサレムに引き返して残っていた仲間たちと喜びの分かち合いをしました。その弟子たちの集う姿が教会なのだと思います。

 

復活されたイエス様と出会うとはすべてを変えてしまうくらい大きな出来事です。弟子たちは勇気と信念に満ちた使徒たちに変わり、残りの人生をイエス様のために捧げるようになっていきました。私たちもこのイエス様の復活という大きな出来事を自分も決定的に変えられる出来事として自分のものにしていきたいです。弱かった弟子たちが、強い使徒に、自分の残された人生を徹底してイエス様に捧げるようになったように、私たちもそうなっていけるように祈りたいです。

 

 

 

 

 

 

 
 
 

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