ヨハネ15:09-17復活節6主日(2021年5月9日)
5月の2番目の日曜日は母の日です。母の日にあたって少し私の母のことをお話したい
と思います。私の母はちょうど10年前の2月、自宅で入浴中に倒れて亡くなりました
。享年76歳でした。本当に突然の死であり、急いで私の実家である九州の佐賀に帰っ
たことを思い出します。母は片方の足が悪くなり、歩くことにも不自由しながら父の世
話をしてがんばっていました。ちょうど亡くなる1週間前、私は父の病院受診に一緒に
ついて行くために当時いた下関の教会から実家に戻っていました。無事に父の受診も終
えて、お昼を父と母と3人で食べることができました。そして帰る時、自宅の玄関で母
と別れたのが最後になりました。母はいつもと変わらない様子で、また来月会えるとの
思いでまさか1週間後に亡くなるとは想像もしませんでした。でもそれが現実であり、
葬儀のために家に帰り無我夢中で母のために葬儀ミサを捧げたことを思い返します。
母は九州の佐賀の伊万里出身で、父と出会って結婚し、父がカトリックの信者であった
ので、同じように洗礼を受けました。母が洗礼を受ける時、私は母のお腹の中にいたの
で、母の洗礼の喜びに一緒に与ることが出来ました。私は子どもの頃は将来司祭になる
ことなど考えもしませんでしたが、大学に入り将来の道を考えるようになった時に司祭
への道を志すようになりました。そのことを初めて両親に伝えた時、母は涙を流して反
対したとことを思い出します。それでも司祭への道を一番支えてくれたのも母でした。
今、母と直接のかたちで言葉を交わすことはできませんが、生きている時以上に私の側
にいて支えてくれていることを感じます。私はいつもマリア様に祈る時、母とマリア様
が一緒になって守ってくださっていることを感じています。そしてそれを有難く思いま
す。母の愛は大きいです。そのことを今日母の日にあたって感謝したいです。
今日の福音で、私はイエス様の「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたが
たの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」という言葉が心に響きます
。イエス様がこれらのことを話してくださったのは、私たちが真の喜びで満たされるた
めであったのだ。私たちの真の喜びを願ってイエス様は語って下さったのだ。互いに愛
し合いなさいという掟も、単なる掟や義務だからではなく、私たちが真の喜びで満たさ
れるために、互いに愛し合うことがどうしても必要だから、だから私は話しているのだ
とイエス様は言われているのです。イエス様の言葉に込められた熱い思いをどれだけ私
たちが感じることができるかで、この言葉の持つ響きが違ってくるでしょう。イエス様
は「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」と言われます。
そして御自分は十字架の上で全ての者のために命を捧げて下さいました。天の父も御自
分の大切な独り子を私たちの救いのために与えてくださり、我が子の苦しみを共にして
くださいました。真の愛とはこのような愛のことです。私たちは自分が愛を生きようと
する前に、まず神様がどのように私たちのことを愛してくださったかに目を向けなけれ
ばなりません。人は人からの愛、やさしさにふれて初めて人にもやさしくなれます。自
分が愛されていることを心から感じることができて初めて人を愛することができるよう
になります。その意味で私たちがイエス様の生き様、十字架の姿、すべての中に込めら
れているイエス様の私たちへの思い、憐れみ、慈しみ、それを自分の肌で感じ取ってい
くことが大事です。私たちのことを私たちが想像する以上に思ってくださっているのが
イエス様の真の姿だと思います。そのことを私たちがもっとわかるなら、そして実感し
ていけるなら、私たちの生きる態度も自ずと変わっていくことができると思います。も
っともっとイエス様の思いと心がわかるようになっていきたい。そのために自分ももっ
とイエス様を愛しますと繰り返し口に出していきたい、そう思います。私たちがこうや
ってミサに与っているのも、ただ自分の願いを祈りとして捧げるためだけでなく、自分
が今日ミサに与りに来たのは、自分もイエス様を大切にしたいと思ったから、自分がミ
サに与ることでイエス様も喜んでくださると思ったからここに来たのだと思えたらどん
なによいかと思います。イエス様が喜んでくださるからミサに来たのだ。教会の入り口
をくぐる時も、聖堂に入る時も意識してイエス様、あなたに会いに来ましたと心でイエ
ス様に話しかけてみる。そのような態度を大事にしていきたいです。
「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜
びが満たされるためである。」今日私たちが聞いたこのイエス様の言葉を大事に心に刻
んで、いつもイエス様を思い意識して歩む生き方を大事にしていきたいです。そしてそ
うすることで私たちの心が喜びに変えられていくことを真に祈り願いたいです。きっと
イエス様は私たちのそのような態度に応えてくださると信じます。
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