マルコ01:12-15四旬節第1主日(2021年2月21日)
皆さんは四旬節と聞くとどのようなイメージを持たれるでしょうか?私は四旬節は、ただ節制をするというより自分と神様との関わりをもう一度振り返ってみる時と言えるのではないかと思います。イエス様が一番願われることは、弱さをもった人間である私たちが、神様とはどういう方かを知ること、その心にふれること、そして私たちもそのイエス様の心に倣い、イエス様と同じような生き方をするようになることです。イエス様はこの世に人として来られ、ご自分の姿と行いで、御父がどのような心の方かを明らかにしてくださいました。そしてその一番の特徴は、罪人である人間を裁くのではなく、温かく接し、励まし、道を示すことで人間の立ち上がりを助けるということでした。そういう意味での救い主であることを示そうとされたということです。
旧約時代、ノアの洪水が引き起こされたのは、地上に人間の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計り、この地は神様の前に堕落し、不法に満ちていたからです。いつの世の社会も、同じ状況があり、神様の言葉が根づくことのない不毛の地、「荒れ野」だと言えるかもしれません。しかし神様は、そのような状態にあっても二度と洪水を起こさないと述べて契約を立て、そのしるしとして雲の中に虹を置かれました。人間が神様に心を向けたからではなく、神様から離れてしまう人間を忘れることがおできにならず、救いへと導こうとされるのが神様の姿です。その神様の姿と心をもう一度思い浮かべて見ることが大事です。神様は忍耐といつくしみの神です。同時に神様がそういう方なら大丈夫で、自分は何もしなくてもよいということではありません。神様がそのような心と態度の方であることを知るからこそ、その心に応えるようにしていきたいと思うようになること、それが四旬節の一番大切な心です。何かきまりや掟に反したことについて反省するというのが四旬節の過ごし方ではありません。もっと今まで以上に神様のもっておられる心にふれていくこと。そのような努力をしていくこと。そして自分でもできることを努めていくこと。そのような態度を取ることこそ、心を神様の方に向ける真の回心なのです。
今年は戸塚教会では7名の方が、今日洗礼志願式を受けられ、復活祭に洗礼を受ける準備の歩みを始められます。この洗礼志願式の中で私たちの信仰を短い言葉でまとめた信条が授けられます。この信条で表されているのは、神様が天地の創造主である父である神様とその独り子イエス様、そしてそこから遣わされ私たちの中で働かれる聖霊であるということです。そして私たちが信じている信仰は、この神様がいつも私たちと共にいてくださるということを信じる信仰です。私たちの中には、神様が共にいてくださるって、一体どこにおられるのか?神様はどこに働いていてくださるのかと思う人もいるかもしれません。それでも神様は私たちの思いを越えて、私たちの平凡な日常の生活の中に溶け込んで共にいてくださる方です。目をみはるようなかたちでなくても、驚くような出来事でなくても神様はいつも私たちと共にいてくださっている。そのことを信じたいです。信じられるようになりたいです。そして私たちも一人ひとり神様が導いてくださる道を歩んでいきたいです。その歩む道の中にきっと神様が共にいてくださることは本当だということを知る鍵があるのだと思います。
「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」これがイエス様の最初の公の言葉でした。神様の方が先に近づいて来てくださった、だから心を神様に向けなさい、その恵みを信じなさいということです。
神様は私たちが想像する以上に憐み深く慈しみに満ちておられる方であること。私たちのことをいつも思い、私たちがご自分に向かって心を開き、何でも話してくれることを待っていて下さる方だと思います。私たちに罪があるとしたら、それはこのよき方でいてくださる神様から離れ、神様が望まれないことを行ってしまうことです。そこから立ち上がるためには、神様につながって、いつも神様に心を向け、自分のことを伝え、力を願い歩み続けることです。
今年も始まったこの四旬節の時を大事にし、神様と自分の絆をより強いものにしていけるように願いたいです。そして今日洗礼志願式を受けられる方々の上に神様の大きな祝福を願いましょう。
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