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2026年9月13日 年間第24主日

執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
カトリック戸塚教会
9月19日
読了時間: 4分

マタイ18:21-35 年間第24主日(2026年9月13日)


誰もが自分の経験として、自分の不注意で人を傷つけてしまったり、人に迷惑をかけてしまったことがあると思います。そしてそのことを相手が寛大にゆるしてくださり、それをありがたく感じたこともあるでしょう。このような相手のよさによって救われた体験は誰もが経験しているはずです。同時に自分はそのように相手から寛大にゆるしていただいたのに、大したことのない些細な自分が受けた損害を、寛大になれず、相手を責めた経験もまた皆あると思います。


イエス様が言われる「7の70倍まで赦しなさい」限りを設けずゆるしなさいという呼びかけは、私たちにとってなかなか十分に応えることができないものかもしれません。自分は人から寛大にゆるしていただいているのに、自分は人に対して厳しい態度を取り、相手を裁いてしまっている。イエス様が示してくださった掟の中で人をゆるすことほど難しいものはないかもしれません。私たちが人をゆるすことができるようになるには、やはり自分が人からゆるされていること、そして究極には神様が自分をゆるしてくださっていることを自分が深く受けとめ、それを自分のものにしていく以外ないと思います。


私たちは神様の姿を直接見ることはできません。そして神様の心を直接のかたちで知ることもできません。それではどうやって神様からのゆるしがあることをわかることができるでしょうか。それは直接ではなくても、やはり自分が日々経験していること、体験していることをていねいに振り返ってみること。そしてその中の小さな体験や出来事の中に神様のゆるしを見つけていくこと、これしかないと思います。


私たちは自分が悪い事、よくないことをしてしまった時、やはり自分が裁かれることを恐れる傾向があります。自分中心の態度や行動を取ってしまった時、それによって何か悪いことが自分にふりかかるのではないかととても心配して、何事もなく無事に過ごせますように祈ったことがあると思います。そして自分が恐れていたことが起こらず、平穏な生活を送ることができていることに気づいたとき、本当にありがたいと感じることができます。私たちはそれが当たり前ではなく、そこに大切なメッセージがあることを感じ取るべきです。今日のイエス様のたとえ話のように、自分が主人から寛大にゆるされていることを心底感じることなしに、自分が人をゆるしていくことはできないでしょう。


私たちは願いたいです。自分が神様からどんなにゆるしていただいているか、またゆるしていただいてきたか、そのことをもっと深く知り、それを心にとめることができますように。そして自分も人に対して寛大な態度を取れるようになることを願いたいです。イエス様はなぜ、ここまでゆるしを大事にされるのでしょうか。それは天の父の一番の特徴が寛大なゆるしであることを知っておられるからではないでしょうか。天の父はあなたのことをゆるしてくださっています。そのことをもっと受けとめてほしい。そしてあなたも天の父のようになってほしい。イエス様が求められる愛は、人をゆるす行動を取る時、本物になります。


私たちは誰もが自分の死というものを恐れているでしょう。なぜ死を恐れるのか。それは死によって自分の人生、自分が取った行動が裁かれることを恐れているからかもしれません。誰もこの人生で完全で正しい生き方が出来た人は一人もいないでしょう。皆失敗があり、神様の望まれないことを行ってしまっています。そのことの償いを求められたらやはり受け入れるしかないでしょう。でも死を経て神様のもとに招かれたとき、自分の思いや恐れを超えて自分が神様からどんなに大事にしていただいてきたか、そのことを本当に心の底から知るとき、自ずと涙が流れ、そして本当の回心ができるのではないでしょうか。私たちにとって大事なことは、その回心を自分が死ぬ時まで先延ばしにしないで、今、生きているときに、少しずつでも神様のありがたさに目を向けて、自分もその神様に心から感謝を捧げながら今を生きていくこと。神様が喜んでくださるのはこのことだと思います。


人に対して寛大になっていくこと、ゆるす態度を大事にしていくこと。そのために自分が神様からどれだけゆるしていただいてきたかを知っていくこと。ゆるしはいつも神様からの私たちへのゆるしが先にあります。それをいつも思って、私たちも他者をゆるすあたたかい心を持って日々を歩んでいくことができますように努めていきたいです。



 
 
 

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