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2025年9月28日 年間第26主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2025年9月28日
  • 読了時間: 4分

ルカ16:19-31


今日は「世界難民移住移動者の日」で、そのために献金が捧げられます。この世界で難民として、また自分の故国を離れて移住せざるを得ない人々の抱える問題の多くは貧困だと思います。生きてゆくこともままならない貧困のゆえに移住・移動しなければならない人々。富める国々と貧しい国々、富める人々と貧しい人々の格差は縮まるどころかますます大きくなっているように思います。

 

今日の福音はイエス様がなさった金持ちとラザロのたとえ話でした。イエス様がなさった話で、自分の前の貧しいラザロの姿に目を留めなかった金持ちへの批判が話のテーマになっています。この世で苦しんだラザロを慈しみ深い神様は、手厚くもてなしてくださいます。しかし、この世で人の苦しみに気づかない生活を続けた金持ちは、その宴席に入ることができません。この世での境遇が、死後では逆転することになります。イエス様がなさったたとえ話ですが、単なる話ではなく、神の子であるイエス様が表してくださった神様からの真理として受け止めなければなりません。

 

神様の私たちへの望みは、貧しい人々の生活や姿に目を向けていくこと。そしてその状況を知っていくことです。たとえに出てくる金持ちのように目の前に横たわるラザロに無関心になるのではなく、心を配っていくこと。これは簡単ではないかもしれません。口で言うのと実際に行うのとでは違います。それでも、私たちが心にとめたいのは、神様はそのような私たち同士の関わりを望んでおられるということです。貧しくお腹をすかせて一生を送らなければならなかったラザロのような者が一人も存在しなくなるように互いに知恵を出し合い、愛の心を大きくすることです。

 

今日のイエス様のたとえ話のポイントは、金持ちがラザロの存在に気づかなかったことにあります。ラザロは直接に金持ちに助けを訴えたわけではありません。しかし自ら意思表示をしなくても貧しいラザロの存在そのものが叫びであり、問いかけだったのです。金持ちはやはり、その叫びを聞き取り、その問いかけに応えるべきでした。声なき叫びを聞き取ることができなかったことに、金持ちの責任が問われています。貧しい人々の存在に対する私たちの生きている間のあり方が、死後の私たちのあり方を決定します。この世のあり方と永遠の世はつながっています。私たちの一生のひとこまひとこまの中に、永遠の世界につながる重さがあります。私たちの周りの声なき叫びに心の耳を開き、それに応えていくこと。「叫びに応える」これが今日の福音のイエス様からの大事なメッセージです。

 

私たちの多くは、このようなたとえ話を聞いても、それでもやはり実践することができないのかもしれません。何か苦しんでいる人々のためにできることがあればと思ってはいても、それが実践につながっていかない。その原因はどこにあるのでしょうか。パウロはテモテへの手紙の中で「あなたは、正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を追い求めなさい。信仰の戦いを立派に戦い抜き、永遠の命を手に入れなさい。」と述べます。信仰の戦いを戦い抜き、永遠の命を手に入れること。

 

私たちが永遠の命を思うことの大事さ。私たちがこの世で神様の望みに応えて生きることができるために、神様の存在にいつもつながっている必要があります。いつも永遠の存在である神様に心の目を向け、神様につながり、神様の心に触れてはじめて私たちはこの世にあって永遠の命につながる生き方ができます。だから祈りが必要です。私たちがいつも永遠である神様に心を向け、神様の望みを生きる歩みをこの世にあって行うことができますように。その生き方を通してこの世でラザロのような存在が一人もいなくなる世界にしていくことができますように。金持ちが願ったように、亡くなった人がもう一度この世に現れて真理を語ってくれるのを待つのではなく、すでに示されているイエス様の真理に耳を傾け、それを生きることができますように。

 

私たちはやはり普段の生活においてイエス様の存在を意識し、イエス様と対話し、イエス様とつながって歩むことが大事です。イエス様とつながってはじめて貧しい人々への愛を表すことができます。普段からいつもイエス様を求めていくこと、イエス様とつながること、それを通して力をいただき、愛の実践を通して永遠の命の喜びに私たちも与ることができますように祈りたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 
 
 

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