top of page

2025年3月16日 四旬節第2主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 3月15日
  • 読了時間: 4分

ルカ9:28b-36

 

イエス様は度々弟子たちに御自分が受ける受難について予告しておられました。ご自分がエルサレムで多くの苦しみを受けて、殺されることになっていること。弟子たちはそれを聞いた時、大きなショックを受けたでしょう。そして不安と恐れも感じたでしょう。そのような中でイエス様は、ご自分が受難と死で終わらず、それを経て復活の栄光に入られることを前もって、弟子たちに垣間見せてくださいました。ご自分が持っておられる真の光輝く姿、真っ白に輝く姿を弟子たちに見せることによって、御自分が必ず罪と死から勝利することを示されたのです。

 

イエス様はご自分が天の父から委ねられた使命を果たすために、苦しみと死を受けることが避けられないこと。しかしその死は、決して敗北の死ではなく、その死を受け入れることを通して死と悪に対して完全に勝利することを弟子たちに伝えようとなさいました。まだ十分にそのことを理解できないでいる弟子たちに、イエス様はご自分の真の姿、光に輝く姿を前もって弟子たちに現すことによって、弟子たちが、恐れや不安でつまずいてしまわないように励まされたということです。受難と栄光が密接につながっていること、それがイエス様がお示しになった一番の神秘であり、それが天の父の意思、心であるということです。

 

一見敗北のように見えてしまう十字架の死、それが本当の意味で栄光に輝く姿であること。十字架を担う、十字架につけられる、ぼろぼろの姿になる、これらは人間的に見て、またこの世の価値観から見て、失敗、敗北、マイナスととらえられるものです。しかし神様の目から見たら、それは決して失敗ではなく、逆に真の栄光の姿に変えられていく大事な姿であるということです。私たちの人生にも多くの苦難、逆境、試練が待ち受けています。それらが私たちを落胆させることもしばしばあります。しかし、それは私たちをいつまでも暗闇の中に閉じ込めておくものではないのです。

 

この世にとらわれ、まだ目を奪われているペトロは、そのようなイエス様の招きを真に理解できるところまで達していませんでした。それで、その栄光が無くならないように、ここにつなぎとめておくことができるように仮小屋を建てましょうと言います。そのようなペトロに雲の中から天の父の声が響きます。「これは私の子、選ばれた者、これに聞け」。この「聞く」はただその声を耳で聞くということではなく、聞き従うということを意味します。かつてイエス様が言われた「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9・23)という言葉に聞き従うことです。

 

弟子たちは祈りの途中で眠くなったり、この世での栄光に目が奪われてしまいます。そして私たちも同じような弱さを持っています。なかなかイエス様が呼びかけてくださった言葉に真の意味で聞き従うことができないでいます。その自分の小ささ、弱さを認めながらも、いつもイエス様の言葉に聞き従っていく歩みが求められています。その中ではたくさんの葛藤があるでしょう、苦しみを感じることもあるでしょう。そのような時、一番の励ましと力になるのは、イエス様御自身も苦しんでくださったその姿だと思います。自分一人が苦しんでいるのではない。自分は気づかず、忘れてしまっているかもしれない。しかし、イエス様は私たちのために私たち以上の苦しみをその身に受けてくださったということ。そのことを思うことです。イエス様に聞き従って歩む道は、イエス様と同じように一見敗北のように見える生き方が求められます。それでもその中で、これでよいのだという確信を持ち続けたいです。そしてそこに私たちが生きる土台を置いていきたいです。

 

四旬節の間、もう一度、自分の生きる姿、あり方を見つめ直して、イエス様が呼びかけてくださった言葉を思い起こしたいです。そして愚かに見える生き方の中に、真の愛を生きる姿があることを、イエス様が歩んでくださった姿から感じ取りたいと思います。

 

 

 

 

 

 

 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年10月12日 年間第28主日

ルカ17:11-19   重い皮膚病を患っていた10人の人がイエス様によって清められます。重い皮膚病は特に苦しみが大きいものです。私は以前、修練者だった時、静岡県御殿場にある神山復生病院で、1ヶ月の実習をさせていただいたことがあります。そこで療養されている人々との出会いの中...

 
 
 
2025年10月5日 年間第27主日

ルカ17:5-10   イエス様は畑で働く僕が仕事を終えて帰ってきた後、その僕が自分を雇ってくれている主人の夕食の準備をすることを話されます。畑で仕事をして疲れて帰ってきて、さらに続けて主人の夕食の準備を僕がすることは、きっと重労働だったでしょう。でもイエス様は、僕は自分に...

 
 
 
2025年9月28日 年間第26主日

ルカ16:19-31 今日は「世界難民移住移動者の日」で、そのために献金が捧げられます。この世界で難民として、また自分の故国を離れて移住せざるを得ない人々の抱える問題の多くは貧困だと思います。生きてゆくこともままならない貧困のゆえに移住・移動しなければならない人々。富める国...

 
 
 

コメント


© 2020 by Totsuka Catholic Church. Proudly created with Wix.com

244-0002 横浜市戸塚区矢部町641

(TEL)045-881-8882

(FAX)045-865-2026

bottom of page