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2025年12月28日 聖家族

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2025年12月28日
  • 読了時間: 3分

マタイ2:13-15、19-23

 

今日は聖家族の祝日です。困難の中をマリア様とヨセフ様は幼子のイエス様と一緒に歩まれました。この聖家族の姿は私たちに大きな励ましを与えてくださいます。私たちがいつも聖家族の姿から力をいただくことができるように祈りたいと思います。

 

イエス様を中心にして聖家族として歩まれたマリア様とヨセフ様。その生活はどのようなものだったでしょうか。それを私たちが想像の目で思い描いてみることも大事だと思います。聖家族はそのほとんどをナザレという小さな町で過ごされました。ヨセフ様は大工の仕事をなさっており、イエス様はごく普通の家庭の中で幼少期を過ごされたのだと思います。聖書の中にはその生活の様子の詳しい記述はありません。でもマリア様は食事を作り、洗濯をされ、小さなイエス様にいろいろなことを教え、生活されていたと思います。

 

私はある人から一つの絵を見せてもらったことがあります。それはある人が描かれた想像の絵ですが、マリア様が物干し台に洗濯ものを干していて、その側で幼いイエス様が遊んでいる絵です。その方はその絵を小さなカードにしていつもかばんの中に入れて持ち歩いて、その絵を見ながら、大きな力をいただいていたことを話してくださいました。素朴な普通の生活。どこにでもあるような生活。でもその中にイエス様が共にいてくださり、その中に幸せを見つけていく。それが大事なのではと思います。マリア様が洗濯ものを干している側で、小さなイエス様が遊んでいるイメージ。またイエス様が青年になられて、ヨセフ様の仕事を習って、ご自分も大工の仕事を一生懸命なさっているイメージ。一人ひとり自分が思い浮かべやすい聖家族の生活のイメージを思い浮かべて、普通の生活の中にイエス様が共にいてくださることを思い、そこから力を得たいです。自分の普通の生活を聖なるものにしていくこと。神様が私たちに呼びかけておられることは、このような私たちの姿なのだと思います。

 

家族が中々一つになれない、皆がばらばらになって、心が外に向いている。そのような家族の姿が現代という時代の中で広がってしまっているように感じます。家族であっても皆がそれぞれ自分中心の思いで生活している。互いに心を合わせることができない。その一つの原因として、一人ひとりが自分の心の中に神様を置いていないからではないかなと思います。神様は確かにそのお姿は見えないし、直接声を聞くことができるわけではありません。神様っておられるかもしれないけど、直接自分には関係ない、そんな思いがこの社会の一般の人々の正直な思いでしょう。

 

神様は確かにその姿を見ることはできません。また声を直接聞くこともできません。それでも、聖家族のナザレでの生活のように、イエス様は私たちの普通の生活の中に共にいてくださっているのです。そのことを信じる。そしてイエス様に心を向けて、毎日の生活を大切に過ごす。特別なことができなくても、大きな働きをすることができなくても、一日一日を精一杯過ごしていく。そこにいつもイエス様も共にいてくださっていることを思う。

 

この1年の間、私たちはそのような心で歩むことができたでしょうか。新しく訪れる年に向かって何かを願うとするなら、自分の普通の毎日の生活をイエス様と一緒に過ごす、そのような気持ちで歩めることを願いたいと思います。今年1年の恵みへの感謝と共に、新しい年を聖家族と共に新たな気持ちで歩みたいです。

 

 

 

 

 

 
 
 

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