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2025年11月9日 ラテラノ教会の献堂

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 11月7日
  • 読了時間: 4分

ヨハネ02:13-22

 

今日はローマのラテラノに建てられ、ローマと世界のすべての教会の母と呼ばれたラテラノ教会の献堂の祝日にあたります。この祝日に全世界の教会が心を合わせて、神様から委ねられている教会の果たす役割に心を向けることができますように祈りたいです。

 

教会の役割って何かなと思います。教会、それは目に見えない神様との出会いの場であると言えます。一人ひとりが目に見えない神様と出会っていく場。それが教会であるということです。

 

今日の福音でイエス様は、「このような物はここから運び出せ。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」と言われます。羊や牛をすべて境内から追い出し、両替人の金をまき散らし、その台を倒されながら言われました。たぶん福音書の中で他に見られないほどのイエス様の熱く力のこもった言葉だったと思います。なぜイエス様はこれほどまでして神殿を清めようとされたのでしょうか。そこにはイエス様が示される真の神殿、真の神の家のあるべき姿への熱い思いが示されているからだと思います。

 

人々は習慣として動物のいけにえを捧げ、神様に祈りを聞いてもらおうとしていました。そのためにいけにえの動物を売る人たちや、お金を両替して利益を得る人たちが存在していました。そしていつのまにか、神殿がいけにえを捧げて神様にただ祈りを聞いてもらうだけの場所になっていたのかもしれません。

 

イエス様は神殿を「わたしの父の家」と呼ばれます。イエス様は神殿を本当の父の家に戻したいという強い思いがあられたでしょう。父の家、そこではイエス様の父であり私たちの父である方に賛美が捧げられる。感謝が捧げられる。そしていつも天の父のすばらしさ、あたたかさ、やさしさが語られる。その父なる神様に私たちが心を開いて、自分の弱さ、小ささ、足りなさを認めて、その父の大きな愛に包んでいただいて、自分に必要な歩み、生き方ができるように願い、自分もそう努めていく。

 

神殿は人間の欲望が集められる場所ではありません。神殿は神様に賛美と感謝が捧げられる場です。皆が心を合わせて祈り、一人ひとりが神様に心を開き、神様からの呼びかけに耳を傾ける場です。しかし時代の流れとともにいつのまにか人間の欲望が集められる場になってしまっていたのかもしれません。人々は自分の祈りが聞き入れられるように動物をいけにえとして捧げ、そのいけにえと引き換えに祈りが聞き入れられるように願っていたかもしれません。しかし神様はそのような方ではありませんでした。

 

イエス様はご自分を屠られた子羊として捧げられ、もうこれからは屠られたいけにえを捧げる必要がないこと、いけにえの儀式は必要ではないことを示されます。同時に神殿は人が神様と出会う場であり、人々が神様の前に自分を開き、何でも神様に伝え、そこから生きる力を願う場であることを示されます。神殿そして教会のよしあしは、その建物のすばらしさにあるのではありません。人々がイエス様に心を開き、イエス様との心の交流が実現していることこそが大切です。そしてそこに集う人々の間で心の一致が実現していることです。

 

イエス様が求められる「祈りの家」とは、真に神様に賛美と感謝が捧げられ、神様の思いを大事にする祭儀と祈りが行われる場所です。自分の思い、願い以上に神様の思い、望みに心を向ける。そして神様の呼びかけ、望みに応えて歩むように努める。そのような祭儀が行われるイエス様が望まれる祈りの家を作っていくことが大事です。一人ひとりが神様の前で心を開き、心の重荷を降ろし、力づけられ、支えられる場に聖堂がなる。そのために私たちもイエス様にもっと心を開き、イエス様に何でも自分のことを話し、イエス様がいつもこの自分と共にいてくださることを意識していく。そのような私たちの心のあり方が求められていると思います。

 

イエス様の体である教会、イエス様がわたしの父の家と呼ばれる私たちの教会が、イエス様が望まれる真の教会になっていけますように祈りたいです。そして私たちの思いと祈りが一つになってイエス様の望まれる教会が実現していきますように願いたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 
 
 

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