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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2024年8月25日 年間第21主日

ヨハネ06:60-69

 

「あなたがたも離れて行きたいか。」イエス様は12人の弟子たちにそう言われます。「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」この「人の子の肉を食べ、その血を飲む」というイエス様の言葉に人々はつまずきました。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか。」人々はこのイエス様の言葉を文字通り人間の肉を食べ、その血を飲むと受け取り、それでつまずいたのでしょうか。私はそれだけでなく、人々の描く期待とイエス様の真の姿の違いがだんだん明らかになってきたからではないかと思います。

 

人々はイエス様から離れていきました。そこには現実的な幸せや利益に心を奪われて、永遠の命のために働きなさいというイエス様の言葉が人々に入っていかない様子が見えます。今の時代も状況は変わっていないかもしれません。私たちが現世的な利益だけをイエス様に期待しているのだったら、十字架の道を歩むイエス様の後をついていくことはできないでしょう。

 

私たちはいつのまにか自分たちを神様の上に置いて生きているのかもしれません。自分の思い、考えが一番大事で、その自分の思い通りになることを何よりも大事にする。そして自分の思い通りにならない部分を、神様に祈って自分の思いがかなうことを願っている。それが私たちの姿かもしれません。もちろんそのような祈りだけを私たちが捧げているわけではないでしょう。神様の思いに耳を傾け、それに聞き従おうとして祈っている方々もたくさんおられるでしょう。それでも私たちは、自分中心に生きて神様の心を忘れてしまい、壁にぶつかり力を失ってしまうことを素直に認めなければなりません。

 

イエス様は「あなたがたはこのことにつまずくのか。それでは、人の子がもといた所に上るのを見るならば」と言われます。「人の子がもといた所に上るのを見る。」これはイエス様がどなたであるかを明確に受けとめることです。イエス様が御自分で言われるようにイエス様は天から降って来られた方、神の子であるということを受け止めることです。イエス様御自身を「天から降って来られた」方として受けとめる。イエス様こそが私たちを天の国に導いてくださる救い主として受けとめる。そしてそのイエス様を愛し大切にする。

 

イエス様は「肉は何の役にも立たない」と言われます。この肉とは神様から離れて生きようとする人間の姿とその無力さを表しています。人間が自分に頼るならば、神様が示される真理、私たちを真の幸せに導く真理を決して悟ることはできません。

 

イエス様は続けて「命を与えるのは霊である。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、命である。」と言われます。「霊であり、命である。」それはイエス様の言葉は命の言葉であり、イエス様の言葉の中に私たちを導く真の命があるということです。人間的な見方、人間の都合で神様を見るのではなく、イエス様がおっしゃる言葉に耳を傾け、それを生きるように祈り求めることです。

 

「あなたがたも離れて行きたいか」と問われるイエス様。この問いは私たちにも向けられています。あなたがたは自分に都合のよい、何でも願いを聞いてくれるそのような神の姿を私に求めようとするのか。私たちも、自分が思い描いた神ではなく、イエス様が表してくださった真の神の姿に心を開き、イエス様に聞き従う心の態度を培いたいです。

 

弟子たちの多くが離れ去り、もはやイエス様と共に歩まなくなったとき、ペトロは「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると、わたしたちは信じ、また知っています。」とイエス様に向かって信仰告白しました。イエス様の中に真の光を見ること。ついていくべき方はこの方だと心からイエス様を求めていくこと。そしてイエス様が望まれる生き方を大事にしていくこと。

 

第二朗読で、夫婦の間で互いに仕え合いなさいとの教えが述べられていました。神様に仕えるとは、夫が妻を自分のように愛し、妻は夫を敬うこと、そのようにお互いに仕え合うということが、神様に仕える道であるということです。

 

私たちがこのような心を持って、いつまでもイエス様に心を向け、困難の中にあっても神様を信じて歩み続けていきたいです。その歩みの中に必ず神様の大きな祝福を感じることができると信じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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