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2024年7月14日 年間第15主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2024年7月13日
  • 読了時間: 5分

マルコ06:7-13

 

私は修道会の一つであるイエズス会に属しています。そしてイエズス会の場合、司祭になって数年働いた後、第三修練と言って約7ヶ月の間もう一度司祭として原点に立ち返って見つめ直す期間があります。その場所は日本ではなく海外で行うことが多いので、英語が必要になります。私の場合は、スリランカというインドの東にある小さな島の国でその第三修練を行いました。そして英語が必要になるので、第三修練が始まる前の5ヶ月間、フィリピンへ行って英語の勉強と英語の生活に慣れることを行いました。フィリピンで5ヶ月、そしてスリランカで7ヶ月と1年間日本を留守にするので、1年間外国で生活するために困らないように持っていく物をいろいろ準備しました。1週間ぐらい海外で過ごしたことは今までありましたが、1年間外国で過ごすことは初めてだったので、いろんな心配から持っていく物が自ずとたくさんになってしまいました。海外旅行用の大きなスーツケースと、さらに大きなリュックサックにもたくさんの物を入れて行き、運ぶのに苦労したことを思い出します。特に英語の勉強のための辞書や本、また日本語と英語の聖書、パソコンなどどれも重くて、今思えばもっと荷物を少なくしていくことができたらどんなによかったかと思います。それでも無事に行って無事に終えて帰国できたことを今でも感謝しています。同時に見知らぬ外国で生活するために、自分に求められる大切な態度を学ぶことができた貴重な期間でもあったと感じています。

 

今日の福音は、イエス様が12人を呼び寄せて、二人ずつ組みにして遣わされるとき、おっしゃったことが描かれています。そしてイエス様がおっしゃったことは、「旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、下着は二枚着てはならない」ということでした。私たちにはこのイエス様の言葉がとても厳しく聞こえます。そして何も持たないで実際に働くことができるだろうかとの思いもよぎります。それではどうしてイエス様はあえてこのように言われたのでしょうか。それはイエス様が弟子たちに身に着けていってほしいと思われたのは、持ち物ではなく、神様への信頼なのだということです。自分の力に頼るのではなく、神様が計らってくださることへの信頼、そして働くのは自分たちではなく、自分たちを通して働いてくださる神様御自身であるということ。そのことを弟子たちも体験を通して学びとってほしいということです。

 

そして人々に伝えるのは神様に対する知識ではなく、自分たちが体験を通して学んだ神様御自身の姿であるということです。何も持たないで宣教に出かけていくこと。神様への大きな信頼を持って出かけていくこと。ある家に受け入れてもられたら、そこにとどまって他の家へと移り歩くことをしないこと。それはより快適な場所、快い歓迎やもてなしを求めて渡り歩くことをしないということです。神様の真の心、計らい、御保護を実感するためには、そのような自分を快適に守る態度から離れ、ただただ神様を伝えていくことに集中していくそのような働きが必要なのだということです。

 

今日の福音の最後のところに、「12人は出かけて行って、悔い改めさせるために宣教した。そして、多くの悪霊を追い出し、油を塗って多くの病人をいやした。」とあります。これが実際に弟子たちがイエス様から遣わされて行ったことです。そしてここにイエス様から遣わされた12人の弟子たちの行う使命が表れています。

 

・悔い改めさせるために宣教すること

・多くの悪霊を追い出すこと

・そして油を塗って多くの病人をいやすこと

 

悔い改めとは心を神様に向け直し、神様につながって歩むことを意味します。そしてそれも一時的な生活の改めではなく、自分の生き方そのものを神様に向け直すことです。宣教することも、人々に神様の姿を示し、その神様に心を向け、神様と共に歩むように呼びかけることです。

 

悪霊を追い出すとは、悪霊は私たち人間に神様を忘れさせ、神様とのつながりを切り離す働きをしますから、悪霊の働きに立ち向かい、人々と神様とのつながり、きずなを強める働きをすることです。

 

そして油を塗って多くの病人をいやすとは、病人は誰もが神様に心を向け、神様につながることが必要であることを指し示していくことです。人間ではなく神様に心からの信頼を向ける人に神様は働いてくださいます。その神様の働きは人間の思いを越えます。目に見えることで判断せず、その人の中に神様が働かれることを信じ希望していく。そのために病人に関わっていくことです。これらの働きは今も変わらず私たちに求められているのだと思います。

 

人々に神様を示し、その神様とつながって歩むようにうながし、そして苦しんでいる人々に神様の慈しみの心を示し、その人々が神様へ心を向けて歩むことを助けていくこと。私たちもその働きに招かれています。

 

自分の日々の生活の体験を通して神様の存在と働きを感じ取っていきたいです。神様のお姿を直接目で見ることができなくても、自分が体験している毎日の出来事の中に神様の働きを見出していきたいです。そのために毎日、神様と対話していくことです。そして神様の名である天の父、イエス様、聖霊と一日のうち何度もその名を繰り返し口に出してみることです。その実践が私たちに何げない日々の出来事、体験の中に神様の存在と働きを見出す恵みをもたらします。私は自分でそれを日々体験しています。どうか私たちが毎日神様に心を向けて生活していくこと、それを通して神様との真の出会いを体験することができるように祈っていきたいです。

 

 

 

 
 
 

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