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2024年6月23日 年間第12主日

執筆者の写真:  カトリック戸塚教会 カトリック戸塚教会

マルコ04:35-41


因果応報という考えがあります。これは正しい者は報われ、悪いことをした人は罰せられるということです。そしてこの世界の動きが全て因果応報で説明できるなら、わかりやすいかもしれません。第一朗読で旧約聖書のヨブ記が読まれましたが、ヨブ記全体の中心メッセージは、悪い行いをした覚えのないヨブがなぜこのような苦しみを味わうことになるのかという問いに、神様がどう応えてくださるか問い求めるというものです。ヨブは3人の友人たちに自分の苦しみを訴え、なぜ神様が私に苦しみを与えられるのか説明してほしいと迫ります。友人たちも因果応報の考えから抜け出せず、苦しみが与えられるのは、ヨブ自身が悪い行いをしたからなのだと答えます。ヨブ記は、何も悪いことをしていない者がなぜ苦しまなければならないのかという問いに対して、神様からの直接の答えを書いてはいません。ヨブが神様に訴えたかったのは、自分が味わっている苦しみを取り除いてもらうこと以上にこの自分が味わう苦しみの意味を神様が説明してくださることでした。ヨブは神様御自身が姿を表してくださったことによって、正しい者が担うべき苦しみがあることと、その苦しみは担うことのできる苦しみであることを受け入れるようになります。


今日の第一朗読のヨブ記の箇所は、神様が荒れ狂う海を支配される場面です。福音でもイエス様が荒れ狂う風と湖に対して「黙れ。沈まれ」と言われ、風と湖が従う場面です。海も湖も神に逆らう力の象徴として描かれています。海も湖も従うのは、イエス様を通して天の父の力が現わされるからです。イエス様が激しい突風の中で慌てふためくことなく静かに眠っておられる姿が印象的ですが、イエス様がそれをおできになるのは、天の父に対する絶対的な信頼を持っておられるからです。同時にこの出来事は、イエス様が誰であるか、イエス様の本質を示す出来事にもなります。弟子たちはこの出来事を目の当たりにし、「いったい、この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言います。


多くの人にとって今日の朗読は、私たちの日常とはかけ離れた出来事のように感じられるかもしれません。でも私たちがミサに参加する時、自分の苦しみが軽くなることを祈り求め、それがミサに参加する第一の目的になってしまっていたとしたら、いつまでも神様の真の姿に触れることなく、またイエス様の呼びかけにも心を向けることなく人生を終えることになります。


どんな状態にあっても神様への信頼の心を起こすこと。神様への信頼こそが力になること。そしてその信頼が私たちに大きな力をもたらします。神様は私たちの信頼に応えて御自身の力を現してくださる方です。私たちは皆、嵐の中の船のように世の荒波の中を歩んでいます。ときにあわてふためいたり、叫んだりしています。皆それぞれに大変さの中を生きています。でも、そのような時こそ、私たちは神様への信頼を強めるように、深めるように呼びかけられています。


「黙れ、静まれ」という力強い言葉によって嵐を静められたイエス様。弟子たちはそれを見て非常に恐れて「いったい、この方はどなたなのだろう」と互いに言い始めます。

イエス様がどなたなのか、これはとても大事な意味を持った問いかけです。そしてその問いかけは現代を生きる私たちにも向けられています。私たちが信じているイエス様とはどなたなのか。


イエス様は天の父の力を表してくださる方です。嵐を静められたのも、病人を癒す奇跡を行われたのも、人々が信じるためです。そして信じるとはイエス様とイエス様を通して働かれる天の父の力に信頼を置くことです。私たちにとって信頼に値する天の父の姿に私たちがもっと心を向けて歩む事ができたらと願います。天の父もイエス様も、そして聖霊も私たちの信頼に必ず応えてくださることを信じます。

 
 
 

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