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  • 執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2024年4月14日 復活節第3主日

更新日:4月20日

ルカ24:35-48

 

イエス様が復活された出来事と自分がどうつながっていったらよいか、それがよくわからないというのが多くの人々の思いではないでしょうか。イエス様が復活されたことは、2千年前に確かに起こったことかもしれない。しかしその事が自分とどう関係するか、それを見つめることも私たちの信仰の大事な要素でしょう。

 

週の初めの日の明け方早く、婦人たちは墓を訪ねます。しかし、イエス様の体は墓の中には見当たりませんでした。そして婦人たちは輝く衣を着た二人の天使からイエス様の復活を知らされます。ちょうどその同じ日、二人の弟子は、イエス様が亡くなられた以上もうエルサレムにとどまっていてもしかたがないと思ってエルサレムを後にしてエマオという場所に向かって歩き始めます。その道の途中で復活されたイエス様が現れて、この二人の弟子を教え諭してくださいます。そしてこの二人は再びエルサレムに戻ることを決意します。それほどの体験がこの二人にもたらされたということです。そのような出来事の流れの中で、今日の福音の場面へと続いています。弟子たちが集まって復活されたイエス様のことを話していると、イエス様ご自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われます。イエス様は、怖くなって逃げ出してしまった弟子たちのことをしかったり、責めたりはなさいませんでした。それよりも「あなたがたに平和があるように」と平和を願ってくださいます。

 

イエス様は死からの復活という出来事を通して、弟子たちに大切な真理を伝えようとしてくださっているのだと思います。そしてその真理とは、正しいがゆえに味わう苦しみは、決して苦しみのままに終わらないこと。必ず大きな喜びに変えられること。そしてこの世の命は死で終わりではないこと。この世の命は永遠の命とつながっていること。だから、この世の歩みを大事にして、イエス様が教えてくださったことを守り、自分を捧げ、与える生き方をしていくこと。その生き方が必ず復活の喜びという大きな喜びに変えられること。その復活の喜びを味わうために、私たちは一人ひとり自分の生き方を見つめ直し、悔い改めることが求められます。私たちは皆、悔い改めという言葉を聞くと、何か悪い行いや態度を反省しなければいけないというふうに捉えてしまいます。でも、本当の悔い改め、そしてその悔い改めの第一歩は、神様の本当のよさを思うことです。第二朗読で読まれたヨハネの手紙にあるようにイエス様は私たちにとって弁護者のような方であるということです。そしてどのような弁護者であるかと言えば、みずから私たちの罪のために十字架につけられて罪を贖ういけにえとなってくださる弁護者であるということです。そのような弁護者であり神の独り子であるイエス様を天の父が人間である私たちに与えてくださいました。その天の父の愛を私たちが本当の意味で知る時、私たちもその愛を生きるようになります。

 

復活されたイエス様の一つの特徴は、弟子たちを力づけること、励ますこと、そして真理を諭すことにあったと思います。怖くなっていた、うちひしがれていた、希望を失いすべてが終わってしまったと思っていた弟子たちに復活されたイエス様は現れになります。そして弱かった弟子たちが、イエス様の復活後、目覚め、立ち直り、内的な変貌をとげて、力強い使徒たちに変わることができました。イエス様を置いて逃げてしまった弟子たちが、なぜ勇気に満ちた使徒に変わることができたのでしょうか。それは、復活されたイエス様と出会うことが、弟子たちを根本から変えてしまうくらい大きな出来事だったからです。イエス様の復活は、イエス様がなさったすべての業がすべて正しいものであったことを天の父が証明された出来事です。最期はぼろぼろになって十字架を担って命を捧げられたこと、最後まで赦しの心をもって人々を慈しまれたこと。そのすべてが天の父の目に正しく受けとめられました。復活は、苦しみが苦しみで終わらない。必ず栄光ある光に変えられる。私たちがイエス様を信じて捧げた犠牲、苦しみ、愛の業が決して消えて無くならない。必ず復活の栄光に変えられる。それをイエス様の復活によって証ししてくださっています。

 

私たちはまだ、その真理を充分に自分のものにできていないかもしれません。それでもイエス様は復活されて、今はその姿を直接見ることはできなくても、私たちの中にいつも共にいてくださっています。その復活されたイエス様が私たちと共にいてくださることを信じて、イエス様と共に歩んでいく。それが必ずいつか大きな実を結びます。私たちの人生の歩みはそのための歩みであるということです。どうか私たちの信仰が強められ、イエス様と共に歩む喜びを自分の日々の歩みを通して自分のものにしていくことができますように祈りたいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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