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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2024年1月14日 年間第2主日

ヨハネ01:35-42

 

一年の初めに、人々は神様にこの一年のことを祈ります。今年は元日に能登半島において大きな地震が発生し、今もたくさんの方々が困難な状況下で避難生活を送っておられることを思う時、心が痛みます。私たちも自分が同じ状況に置かれたらどうだろうかと思って、惜しみない協力をしたいと思います。

 

今日の第一朗読でサムエル記が読まれました。サムエルという男の子は神殿で祭司であるエリと一緒に生活していました。ある晩、神殿で眠っているサムエルに神様が「サムエル、サムエル」と声をおかけになります。その声を聞いたサムエルは祭司であるエリが自分を呼んでいると思って、エリの所へ「お呼びになったので参りました」と言いました。でもエリは、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言います。そしてまた神様は「サムエル、サムエル」と呼ばれます。呼ばれるたびにサムエルは起きて、エリの所へ行きました。その度にエリは「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻っておやすみ」と言いますが、エリはこれはもしかしたら神様がサムエルを呼んでおられるのだと気づき、サムエルに今度「サムエル」と呼ぶ声が聞こえたら、「主よ、お話しください。僕は聞いております」と言いなさいと言います。そしてサムエルは神様が「サムエル、サムエル」とお呼びになったとき、「どうぞ、お話しください。僕は聞いております」と答えました。私はサムエルが神様に答えたこの「どうぞ、お話しください。僕は聞いております」という態度が私たちが神様に心を向ける時、とても大切ではないかと思います。

 

祈りは、自分の願いを神様に伝えることだけではありません。この「どうぞ、お話しください。僕は聞いております」のように神様の願い、思いを私たちが聞いていくことです。神様の願いを聞くと言っても、私たちの耳に実際に神様の声が聞こえてくるということではないでしょう。でも神様は、私たちがいつもサムエルと同じように「どうぞ、お話しください。僕は聞いております」という心でいつも神様に心を向けていくことを待っておられるのだと思います。

 

今日の福音は二人の弟子がイエス様と出会う場面が描かれていました。イエス様は御自分に従って来る二人の弟子に「何を求めているか」とお尋ねになります。そして彼らが「ラビ、どこに泊まっておられるのですか」と言うと、イエス様は「来なさい。そうすればわかる」とお答えになります。弟子たちがイエス様に「どこに泊まっておられるのですか」と尋ねたのは、「何を求めているか」とイエス様から聞かれて、どう応えていいかわからずとっさにどこに宿泊されておられるのですかと尋ねたのだと思います。でも本当に尋ねたかったことは、あなたはどなたですか、あなたの真の姿を教えてくださいということだったでしょう。そしてイエス様の答えは「来なさい。そうすればわかる」ということでした。イエス様が誰であるか、何を望み、何を私たちに指し示そうとされるのか、それはイエス様の元に来て、イエス様と真に出会うことでわかるということです。

 

弟子たちはイエス様のもとに一緒に一晩泊った後、仲間の弟子たちに「私たちはメシアに出会った」と告げます。彼らはイエス様と一緒に泊まりながらどのような体験をしたのでしょうか。聖書にはそのことの記述はありません。でもきっとイエス様と一晩一緒に過ごしながらいろんな話をしたのだと思います。そしてそのイエス様との出会いを通してかけがえのないものを体験したのだと思います。

 

イエス様と一緒に泊まった弟子の一人アンデレは、自分の兄弟シモンに会って、「わたしたちはメシアに会った」と言って、シモンをイエス様のところへ連れていきます。それくらいアンデレにとってイエス様との出会いは強烈で忘れることができないものだったからでしょう。私たちもアンデレと同じような体験をすることができないでしょうか。他の人々に「私はイエス様に出会った」と言える体験ができないでしょうか。私たちはそれを目指し、望みたいです。そして自分の日々の出来事を通してイエス様と真に出会っていく、そのような毎日を歩んでいきたいです。

 

私たちは毎日いろんな出来事を体験しています。その出来事が何を意味しているのかそれはすぐにはわからないかおしれません。それでも出来事を通して語ってくださっている神様の思いに少しずつ心を開いて、神様がこの私たちにどんな願いを持っておられるか、それを心で聞いていく態度を大事にしたいです。現代という時代を生きる私たちに神様は直接耳で聞こえるかたちではお話にはならないでしょう。でも私たちが日々経験する様々な出来事を通して語ってくださっているのだと思います。その神様の思い、望みに気づくことができる心を培っていきたいです。そしてそのために私は、日々イエス様に向き合って、心を向けてイエス様と対話することが大事だと思います。私が以前お配りした笑顔のイエス様の絵を自分の前に置いて、イエス様が今、自分と共にいてくださることを意識して何でも語りかけていく。それを日々続ける習慣を作っていく。そうするならイエス様は必ず私たちの心にうながしを感じさせてくださること私は信じます。

 

神様はこの新しい年に私たち一人ひとりにどんな願いを持っておられるでしょうか。様々な出来事を通して何を語ってくださるでしょうか。それを一人ひとり心で感じ、大事に受け止めて歩んでいきたいと思います。

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