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2024年12月15日 待降節第3主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2024年12月14日
  • 読了時間: 4分

ルカ03:10-18

 

待降節は、英語では「アドベントAdvent」と言います。その意味は「到来」です。今日の福音で人々は洗礼者ヨハネに「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねます。私たちもイエス様を迎えるために何を大事にしたらよいか、そのことを心に留めたいです。今日の福音に登場する洗礼者ヨハネは、荒れ野に現れて人々に悔い改めを呼びかけました。荒野はとても厳しいところです。簡単に生活できるところではありません。でも自分が今その荒野に立っていることをしっかり自覚するなら、そこから自分が真に目を向けなければならない方が誰であるか見つめることができる場所でもあります。

 

私たちの人生の歩みは、ある意味荒野の中を歩んでいるのと同じです。私たちはその中ですべて自分の力で歩もうとし、同時に壁や重荷にさいなまれ、物事がうまく運ばないことにいらだちを覚え、力を失い倒れています。荒野はその意味でとても厳しい場所あり、人間に無力さを見せつけます。でも逆に人間はその荒野にあって神様に心の目を向け、神様と共に歩まなければ真に生きることはできないことを悟ります。私たちにとって真の意味で回心するとは、この自分と神様とのつながりを取り戻すことです。謙虚になって、自分の無力さを認めて、神様に心を向けることです。

 

ある方が「神様の愛を直接肌で感じてみたい」と言われたことがあります。神様が愛であるなら、その愛を直接肌で感じることができるようにしてほしいということです。しかし神様からの私たちへの愛は、私たちが感覚で確かめるようなことではありません。それより、一人ひとりが素直な心になって自分のありのままの姿を見つめて、自分の小ささ、足りなさを認めていくとき、その自分を支え、励まし、見守ってくださっている存在が確かにあることに気づくことです。私たちの罪は、何か悪い行いをしてしまったということ以上に、私たちがこの神様の存在に無関心になり、心を閉ざして歩んでいるその心の態度を指します。自分と神様との間に生じている心の隙間、心のずれ、それを正していくことこそ、洗礼者ヨハネが呼びかけた真の悔い改めです。

 

荒れ野で叫ぶ洗礼者ヨハネの激しい言葉は、人々の心をゆさぶりました。そして「私たちはどうすればよいのですか」という何かしなければという思いを人々の心から引き出しました。救い主を迎えるために、私たちが本来すべきことは何であるかを問わなければなりません。クリスマスがただの年間行事とならないために。そしてクリスマスは神様から私たちへの答だったということを忘れないために。イエス様がこの世に誕生された時代、皆が救い主を待ち望んでいたということを忘れてはいけません。人々は真剣に「私たちはどうすればよいのですか」と問いました。それは真剣に自分のあり方を見つめ直そうとしたということです。そして洗礼者ヨハネの答えは生活に即した具体的なものでした。「下着を2枚持つ者は、1枚も持たない者に分けなさい。食べ物も同じようにしなさい。」自分の置かれた状況において具体的に隣人愛を実践していくことを洗礼者ヨハネは呼びかけました。生活の具体的な場でのやさしさ、思いやりの実践。それぞれが生きている生活の場で、その愛を実践していく。それが最高の価値を持つものになります。

 

洗礼者ヨハネが伝えた来たるべき方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになり、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて蔵に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われます。これは神様が私たちの中から真に正しいものを取り出してくださり、私たちを不自由にし、罪にしばるもろもろのものを神様が焼き払ってくださることを表します。私たちも自分の闇、社会の中にある闇を見つめながら、もう一度何が生きる上で大事なことなのか見つめ直したいです。待降節という主の降誕を迎える準備の期間を過ごしている私たちとして、自分の中にある自分を不自由にしている様々なもの、神様から離れようとする心の傾きから解放されて、本当の自由と喜びをもって歩み、私たちに真の喜びをもたらしてくださる神様の存在を心から喜び迎えることができる恵みを祈り願いたいです。

 

 

 
 
 

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