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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2024年11月3日 年間第31主日

私は司祭になってよかったなと思うことの一つは、人の死に向き合うことができるということです。私は司祭になって今まで何人の方々をお見送りしてきたのかなと思うことがあります。正確に数えたことはありません。でもたくさんの方々の葬儀をさせていただいてきたことも事実です。そしていつも葬儀を終えた時、自分の心の中に残る思いは、この葬儀に関わることができて本当によかった、ありがたかったという思いです。祈りを共にできてよかった、お見送りを一緒にさせていただいてよかった。疲れは残りますが、疲れを超えて心が満たされる思いを何度もしたことがあります。

 

ある方とは、死が近いという状態の中でお話をさせていただいたこともあります。死という私たちにとって大きな現実に対して、どう向きあったらいいか。私たちは死を前にするとき、自分の小ささ、無力さを実感します。でもそれはとても大切な気づきなのだと思います。その無力さの中で、心からイエス様の存在を求める。イエス様にどうかこの私と共にいてください、私の側にいてくださいと願い祈る。その祈りがとても大事です。

 

人は死を迎えるにあたって、自分がその時置かれている状態によって、どのような死のかたちになるか違ってくるでしょう。現役で働いている状態の中で死を迎える人、長寿を全うするかたちで亡くなる方、病気のために長く生きることができず、それでもその死を受け入れて旅立っていかれる方。人によって、その死のあり方は様々です。それでも共通して言えることは、どのような死であっても、大切なことはそれまでをどのように生きることができたかということです。

 

今日の福音でイエス様は第一に神様を愛することを話されます。なぜ神様を愛し大切にしなければならないのでしょうか。それは今ある自分のすべてが神様の恵みによるものだからです。神様は私の大恩人であるという自覚。この私の存在、人生は私の力によるのではなく、神様からのものであること。私が生きている以上に、神様から生かされ、導かれていること。このような自覚、思いはとても大切だと思います。そしてこのような思いから神様への感謝の心が生まれ、神様をもっと大切にしようとする心が芽生えます。

 

神様に対する愛の必要性は、私たちがどれほど神様から恵みをいただいているか、その自覚、意識の深さによります。皆、正直に自分の人生の歩みを振り返るなら、きっとそこに神様の働き、支えがあったことを見出すことができるはずです。自分が生まれて今日までの歩みの中で、神様に感謝したい出来事を思い返すこと。うれしかったこと、人からいただいた親切、また苦しみ、悲しみの出来事の中で、神様が支え続けていてくださったことへの気づき。そのような振り返りを通して神様のあたたかさに触れていくことです。

 

それでは神様を愛するとはどうすることでしょうか。神様は人間に何かをしてもらうことを必要としている方ではありません。神様は条件なしで人間を愛してくださる方です。その神様の私たちへの愛に気づき、感謝の思いを起こすこと。同時にこの神様への愛は、自ずと隣人を愛することへ向かわせます。私たちが神様を愛することと、隣人を愛することは別のことではなく、一つのことです。なぜなら私たちが隣人を愛することこそが神様の望みだからです。

 

ある方で寝たきりの義理の母に誠意をもって尽くされた方がおられます。その方は、その義理のお母さんを世話し関わり続けたことによって、神様への愛を表したのです。神様への愛を生きることで時には大きな苦しみや困難を経験することもあるでしょう。しかしそれでも後からきっとわかります。投げ出さずに最後までやってよかったと思える時が必ず来ます。それが神様が確かにいてくださり、今も働き続けておられることの証しです。特に貧しい人、苦しんでいる人、虐げられている人、自分の力で生きていけない人々に対する愛を大切にしていければと思います。損する生き方のように思える時もあるかもしれません。しかし損が損ではなかったといつかわかる日が必ず来るでしょう。その時神様がはっきりと教えてくださるでしょう。それを信じて今日も歩みたいと思います。イエス様は今日も私たちに語りかけられます。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。隣人を自分のように愛しなさい。」

 

私たちにゆかりのあるすでに亡くなられた方々も、私たちに伝えたい一番の思いは、「今を大事に大切に生きてください。神様を大切にし、神様が喜ばれることを大切にしてください。」ということだと思います。どうか、私たちがすでに亡くなられた方々の永遠の安息をお祈りしながら、私たちもいつか訪れる旅立ちの日まで、今を大事に生きる力と恵みを祈りたいと思います。

 

 

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