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2024年10月6日 年間第27主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2024年10月6日
  • 読了時間: 4分

マルコ10:02-12

 

人がうれしいとき、幸せを感じるときはどんなときだろうと思います。それは自分のことを人が肯定してくれたとき、自分を受け入れてもらえたとき、自分の存在を人から喜んでもらえたときではないかと思います。協力し合える相手がいる、仲間がいる喜び。これにまさる喜びはないように思います。神様は言われます。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」神様は最初あらゆる動物を形作って人の前に持って来られましたが、人はその中に自分に合う助ける者を見つけることはできませんでした。そこで神様は人から抜き取ったあばら骨で女を造り上げられ、彼女を人のところに連れて来られました。人は女の姿を見た時、驚きと喜びの叫び声をあげました。その人の驚きと喜びは、神様が助け手なしには孤独な人間に目を向けて、ふさわしい助け手を備えて孤独を癒そうとしてくださったその神様の計らいに対する喜びの叫びでした。

 

人の喜びは、助ける者である女に出会った喜びだけではなく、神様がそのようにしてくださり与えてくださったことへの喜びなのです。人は女に出会うことによって神様にも出会いました。神様は、助け手なしには孤独な人間に目を向け、ふさわしい助け手を備えて孤独を癒そうとしてくださるあたたかな心を持っていてくださる方です。人は独りでは生きてゆくことができません。孤独では生きられないのです。やはり助け手が必要です。神様はそれを初めから知っていてくださっています。そして自分に合う助ける者とは、自分に向き合う者のことです。この自分に向き合う助け手は、必ずしも夫婦の関係だけに限りません。自分を受け止め、肯定し、支えてくだる者は、私たちは自分の人生において出会っています。自分の過ごした人生を振り返ってみて、その中で本当に自分を受け止め支えてくださった方を思い出してみましょう。そしてその出会いを神様に感謝しましょう。出会いの奥に神様の思いと計らいがあったことに感謝しましょう。

 

今日の福音でファリサイ派の人々がイエス様を試そうとして取り上げた問題は「夫が妻を離縁することは、律法に適っているか」というものでした。彼らは律法こそ神の意思を表すもので、それを守ることこそ人間の務めであると考えます。同時にその律法を守るために細かい規則を作り、次第に本来律法が目指していたことから離れて自分たちに都合のよいものに変えていきました。モーセが離縁状による離縁を許したのは、人間の心が頑なであったためだとイエス様は言われます。そして結婚を天地創造の始めに戻して示されます。人を男と女に創造されたのは、互いに向き合い助け合うためなのだ。神が結び合わせてくださったものを、人は離してはならない。そして人間が協力しあい、助けあうことができるようにお造りになられ、その人間の関係の中に本当の喜びを見出すようにされました。

 

私たちは人生の中で必ず困難や苦しみに出会います。でもその時その時に一緒に歩んでくれる存在がいるならどれほど力になるでしょう。困難や苦しみを通して、より絆の強い仲間に成長していくこと。人と人とがこのように出会い、向かい合って生きていくことは、神様にとっても大きな喜びでしょう。でも現実はそのように事が運ばないことも起こります。初めは互いの存在を喜び、共に生きていこうと決意をしてスタートしたものの、月日と共にいろんな問題が起こり、関係が崩れてしまうことも起こります。その現実を受け止めることも必要です。そしてそのような時でも神様に心を向け続けることを止めないようにしたいです。神様は人間の過ち、失敗があっても、私たちに対する慈しみを変えることはなさいません。最後まで私たちの事を思ってくださる方です。私たちがどんな状況に置かれても、神様に対する信頼の心を持ち、神様の私たちに対する変わらぬ愛を祈り続けるなら、神様は必ず支えて導いてくださいます。

 

現代は多くの人が神様の存在を意識しなくなっています。人間の力だけで人生を生きようとしています。でもそこには神様が望まれる真の喜びはありません。人間が自分のことだけを考えて生きるなら、そこには争いと戦いが消えず、喜びではなく憎しみが心を支配します。苦しみを体験しても、支えや力となる言葉をかけてくれる仲間が身近にいることのありがたさを強く思えるようになりたいです。もし、自分の周りには誰も自分と同じ思いになってくれる人がいないと感じる人がいるなら、それでも神様は私の思いを受け止め理解してくださる方であることを思いたいです。「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう。」その神様の思いは今も続いています。互いに助け合い、支え合えるそのようなよき信仰の仲間として歩むことができきるように、そのためにまず一人ひとりイエス様との絆、つながりを強めて、イエス様の力をいつもいただいて歩めるようになりたいです。

 

 

 

 
 
 

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