マルコ10:46-52
目の見えない人、歩けない人、身ごもっている人、臨月の女性、これらの人は普通の歩みの速さで歩くのは大変だと思います。でも自分を慰め導き、流れに沿って歩むことを助けてくださる方がいたら、まっすぐに道を歩むことができます。決してつまずくことはありません。第一朗読で読まれたエレミヤの預言は、イスラエルの民が神から離れたゆえにばらばらに離れ離れになった状態から、もう一度自分たちの国を再建することができるように父なる神が働いてくださる希望を伝えています。神によって呼び戻される人々の中には目の見えない人、歩けない人、身ごもっている人、臨月の女性が含まれています。これらの人々は特別な保護を必要としている人々です。でも神様はこのような人々を通して神様が望まれる国を再建しようとされます。同時にそこには、真の慰め主、導き手となってくださる方としっかりつながって歩むことが求められます。
今日の福音に登場した盲人バルティマイはイエス様に向かって叫びました。「わたしを憐れんでください」。イエス様に近づき、「イエス様、わたしを憐れんでください」と叫んでいくこと。自分の姿、思いを細かく言い表すことができなくても、「わたしを憐れんでください」の言葉の中に自分の祈りを込めること。そしてあきらめずに叫び続けること。祈りとは叫びなのだと思います。自分の思いを叫びとしてイエス様に向けていくことが祈りになるということ。自分のありのままの思い、自分が今、真に必要だと感じている恵みを求めていくこと。この盲人は勇気をもってイエス様の前に自分のすべてを開きました。自分の悲しみ、弱さ、足りなさをありのままにイエス様の前にさらけ出していく勇気を持ちました。
イエス様が「あなたの信仰があなたを救った」と言われるその信仰とはどのような信仰でしょうか。この盲人のようにイエス様の存在に向って自分を開き、自分のありのままの思いと必要をイエス様に表していくこと。そしてイエス様に対してまっすぐな思いを向けていくこと。これこそイエス様が私たちに求められる信仰ではないでしょうか。私たちはどこかで、壁を作り、イエス様に対してまっすぐに思いを表しきれていないように思います。イエス様に近づききれていない、イエス様にまっすぐに向いきれていない。何かが自分とイエス様の間に壁を作ってしまっている。でも私たちは心から願いたいです。イエス様から「あなたの信仰があなたを救った」、あなたのわたしに向かうまっすぐな思い、自分がイエス様の力を必要としていることを認め、信じて素直に近づいていくその態度があなたを救うのだとのイエス様の言葉を私たちもいただきたいです。
私たちが教会に集まっているのも、ただお願いの祈りをしに集まっているのではないと思います。私たちにもっと必要なことはイエス様と実際に触れ合っていくことです。そしてそれは直接にイエス様の姿を見たり触ったりするということではなく、イエス様を信じ、思う私たちの心とイエス様の心が触れ合っていくことです。私は実際にそれは起こるのだと思います。そしてイエス様の心と触れ合うために、自分に起こる出来事を通して語りかけられるイエス様の思いを聞きとっていくことが大切です。何気なく起こり過ぎ去っていっているように思う身近な出来事の中にもイエス様からの働き掛けやメッセージが込められていると思います。それを聞きとることができる心の感性のようなものを持つことです。自分の心の中に今、何が起こっているか、また1日の中で自分の心はどのように動いていたかを少し意識して顧みてみること。そのような中で、今神様からの自分へのメッセージは何かを感じ取っていくことです。
盲人バルティマイは、イエス様に向かってまっすぐ自分の叫びをあげました。そして見えるようになって十字架への道をイエス様に従う者になりました。イエス様の癒しは単に病気や障害からの回復に留まりません。その人の生き方を変え、イエス様に従って歩む者にします。私たちも自分の叫びがイエス様に向けられ、イエス様を通して真の救いへつながる道を歩む者に変えられていきたいです。そしてイエス様から「あなたの信仰があなたを救った」と言われる者になっていきたいです。
イエス様が私たちを導こうとされる道は、十字架へとつながる道です。そこには苦しみが伴います。その苦しみは一人ひとり違うかもしれません。でも十字架につながる道である以上、その苦しみを背負うことが求められます。父なる神が私たちに示しておられる私たちの人生の歩みはやはり例外なしに十字架への道なのだと思います。盲人バルティマイは、イエス様と出会い目を見えるようにしていただいた喜びのゆえに、イエス様の後に従う者になっていきました。十字架につながる道を歩むことができる唯一の鍵はイエス様からいただく喜びです。イエス様からいただく喜びこそ、私たちの力の源です。そのためにバルティマイのようにイエス様に向かって叫び続け、イエス様と共に歩む喜びを自分のものにできるように、私たちも心から願い続けたいと思います。
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