マルコ10:35-45
私たちはふつう、苦しみはできるだけ避けたいと思います。誰も自ら進んで苦しみを担う人はいないでしょう。苦しみはできるだけ避けたい。そして自分のために必要な苦しみならいざ知らず、他人のために苦しみを受けることはご免こうむりたいというのが本音ではないでしょうか。そのような中で、神の子であるイエス様は苦しみを担うことをなさいました。そしてそこに価値を置かれました。そのイエス様の態度の土台になっているのは、それが御自分の父の望みだからです。天の父は我が子が苦しみを担うことをよしとされました。多くの人の身代金として命を献げることを望まれました。
私たちは、神様はそういうことをなさらずに、他に人間を救ってくださるための方法はいくらでもあったのでないかと考えます。でも神様はあえてそれをなさいました。それはきっと天の父は、救いに与るには、苦しみ、十字架を通り抜けることが必要であるとお考えになられたからだと思います。人間はどうしても楽な方法を選ぼうとします。苦しみを避け、苦しみなしに救いに与ることを求めます。しかし、天の父は苦しみを受け止め、それを担うことに大きな価値を置かれました。それは苦しみが本当の愛を生きるためにどうしても必要とされるからです。
誰もが知っているように、イエス様は最後、十字架の苦しみを受け、御自分の命を十字架の上で献げてくださいました。それは苦しみの極み、自分がぼろぼろとなることを引き受ける死でした。歴史の中で誰もが考えたと思います。イエス様はなぜこのような死を引き受けられたのだろうか。そしてなぜイエス様の十字架の死、苦しみの死が私たちの救いになるのだろうか。それは現代を生きる私たちにとっても究極の問いかけです。
でもイエス様ははっきりと言われます。「人の子は仕えられるためではなく仕えるたに、。また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」イエス様は、人間から仕えられるためではなく、人間に仕えるために、御自分の全てを差し出すために私たちのもとへ来られました。
身代金としてご自分の命を献げるとはどういうことでしょうか。私たちはこの世の人生を終えて神様のもとへ呼ばれるとき、必ず聞かれることがあると思います。それは私たち一人ひとりがどのように自分の人生を生きたかということでしょう。そしてもし自分が犯した罪について完全な償いを果たすことを求められたとしたら、私たちは誰一人自分で自分の罪を完全に償うことはできないと思います。それによって天の国の門が閉ざされても仕方がないと思うかもしれません。それでももし私たちが天の国の門を通ることができるとしたら、それはただただ、イエス様が私たちのために贖いとして差し出してくださった命の引き替えのおかげとしか言えないでしょう。天の国の門番は言うでしょう。あの方があなたの罪を背負ってくださいました。そのおかげであなたはこの門を通ることができます。
私たちはまだまだこのことを完全には理解していないでしょう。そして相変わらず自分中心の生き方をし、神様から離れる生き方をしてしまっているでしょう。それでも私たちは、イエス様の苦しみの十字架の死の姿、私たちのためにぼろぼろになってくださった姿を思い起こし、心に刻みたいです。そして、そうすることで私たちが生きる意味をつかんでいきたいです。イエス様の周りに集まった弟子たちも、最初からイエス様の十字架の意味を理解していたわけではありませんでした。ヤコブとヨハネはイエス様に「わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と願っています。イエス様とともに栄光の座に座ることを求めています。そのような彼らにイエス様がおっしゃったのは、何の条件も付けずに、私に従いなさいということでした。イエス様が十字架の死を引き受けられたのも、そこに自分の立場を捨て、人に自分を与え尽くすという最高の生き方があることをお示しになるためでした。
イエス様の姿は、私たちがこの世でどのように歩んだらよいかを教えてくださる最高の模範です。私たち一人ひとり、イエス様を見つめて、イエス様に倣って、自分を与え尽くす歩みを生きること。天の父がその生き方に人生の意味を与えておられることを受けとめること。そしてそれを生きるためにはやはり力が必要で、そのためにいつも祈り、聖霊の導きと助けを願うことです。
苦しいとき、自分は何もできないと思うとき、その時イエス様が共にいてくださることを信じましょう。目でその姿を確かめることができなくても、イエス様は私たちと共にいてくださる方です。そのイエス様に私たちが心を開いて、何でもイエス様に自分の思いを伝えていくなら、きっとイエス様は、私たちの心を受けとめてくださるでしょう。
ミサはそのイエス様とつながるための最高の場だと思います。このミサをイエス様と心を合わせ、イエス様と共に生きるためのかけがえのないものとして大切にしていきたいと思います。
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