ルカ18:01-8
イエス様は、気を落とさずに絶えず祈らなければならないことを教えるために、今日の福音のたとえ話を話されました。ここでのイエス様が求めておられる絶えず祈る祈りとはどのような祈りでしょうか。私たちはふつう祈りと聞くと何かを願うことだととらえがちです。また祈りでなくても、教会に来ることを考えるとき、多くの人が教会を訪れるのは、やはり自分の願いを神様に聞いていただきたいというのが一番大きい理由だと思います。でもその神様に向ける祈りを単なるお願いで終わってしまっていいのだろうかと考えます。イエス様が私たちに求めておられる、イエス様が望まれる祈りというものがあるのではないでしょうか。
イエス様が望まれる祈り、それは私たちがもっとイエス様の思い、望みに耳を傾けていくことです。自分の思い、望みをイエス様に伝えるだけで終わるのでなく、私たちもイエス様の望みを聞いていく姿勢を大事にすることです。イエス様が今、私たちにどのような望みを持っておられるか、そのことを意識していくことです。今、私たちが置かれている状況、そして世界中の人々が置かれている状況に目を向けながら、イエス様が私たちに向けておられる思いに耳を傾けていくことを大事にしたいです。同時に、ある方が祈りとは私たちが神様に差し出す叫びなのだとおっしゃったことにも心を向けたいです。祈りは私たちから神様に向けられた叫びです。そしてその叫びは、私たちが今置かれている状況と、その中での自分の思いを神様にまっすぐに伝えていくことです。神様は、そのような私たちからの叫び、自分のありのままの姿を神様に伝えていくことを求めておられます。自分の中でうまくいっていることもうまくいっていないことも、喜びも悲しみも、すべてを神様に伝えていく。自分の心を大きく開いて神様と対話していく。そのような私たちの態度を神様はずっと待ち望んでくださっています。
私は自分の机の上にイエス様の姿を描いた絵を二つ置いています。それはいつもイエス様の姿に目を向けながら、イエス様と対話するためです。その絵の一つはイエス様が笑顔でこちらを向いてくださっている絵です。そしてもう一つはイエス様が十字架上でご自分を捧げてくださっている絵です。自分の心の状態に合わせて、笑っておられるイエス様と対話するときもあれば、十字架の上で苦しみをその身に受けてくださっているイエス様と対話することもあります。でもいつもそばにイエス様の絵を置いて、自分の方から何でもイエス様に話すように習慣づけています。祈りをただ自分の願いを伝えることから一歩深めて、イエス様に今の自分の姿を伝えて対話していくことを大事にしています。
私がもう一つ大事にしていることは、聖堂でイエス様の前に自分を置いて過ごす時間を大切にすることです。私の場合は、朝起きて洗面を済ませた後、聖堂へ行ってイエス様の前に自分がいることを意識して時間を過ごします。始めはやはり今日一日お守りください。共にいてくださいという祈りから始めます。そして少しずつ自分の心を開いて自分の思いを伝えるようにしています。そして最後は十字架に架けられたイエス様の姿を見つめて、イエス様に私はあなたを愛しますと30回くらい繰り返して伝えるようにしています。そうすると少しずつ何かが心の中で変わってくるのを感じます。頭の中でいろいろなことを思いめぐらさず、ただ静かに自分をイエス様の前に置いて心を向けていく。そしてイエス様に自分の思いを伝えていく。それを繰り返し毎日続けていくなら、イエス様は必ず私たちの心に大切な何かを残してくださるでしょう。聖堂はその意味でとても大切な場所です。同時に聖堂でなくても、自分がイエス様を意識し大切にできる場所を見つけて、そこでイエス様に心を向けていくこともできます。そのような私たちの姿勢にイエス様は必ず応えてくださるでしょう。
現代という時代の中で、イエス様と対話したり心を通わせることなど不可能だとする人も多くみられるかもしれません。また祈っても何にもならない。ただ自分の力で歩むしかないのだ。そんな思いを持っている人も多くいるでしょう。それでも私たちは頭や知識を使ってイエス様と対話するのでなく、心、そして体全体でイエス様に向き合い対話していくのです。イエス様は目に見えないかたちで今でも私たちの中で働き続けてくださっておられます。このミサもイエス様がその中心にいてくださり、私たちに語りかけ、ご自身を与えてくださっておられます。私たちもそのイエス様にもっと向き合い、自分を表し、イエス様を大切にしてイエス様とつながってこの人生の日々を歩んでいきたいです。
今日、このミサを共に捧げることができたこと、そこにイエス様の思いと働きを感じ、感謝を捧げ、この自分に今、イエス様が望んでくださっていることに心を向けて、それに応えていくことを大事にしたいです。そしてそのような毎日の歩みの中にイエス様が与えてくださる本当の喜びがあることを信じたいです。私たちの信仰には、やはりイエス様との親しさが求められます。祈りをイエス様との親しい対話だと位置づけて、これからの日々をイエス様と共に歩んでいきたいです。
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