top of page

2021年1月31日 年間第4主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2021年1月31日
  • 読了時間: 5分

マルコ01:21-28 年間第4主日(2021年1月31日)


イエス様が人々の前でなさった最初の力ある業、大きなしるしは何だったでしょうか。病人をいやすことだったでしょうか。マルコ福音が伝えているイエス様が人々の前で最初になさったしるしは、病人をいやすことではなく、悪霊を人から追い出すことでした。イエス様は、悪霊に向かって「黙れ、この人から出て行け」とお叱りになると、汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行きます。イエス様が救い主としてこの世に来られた意味は、この世から悪を取り除くためだったと言えます。イエス様は神の子として力ある業を人々の前でなさった中で、その多くは病人のいやし、苦しんでいる人々を力づけ、その人々が天の父に向かって歩むことへ導かれることでした。それでもイエス様が人間の内に働く汚れた霊、悪霊に対して立ち向かわれたことも忘れてはいけません。イエス様の使命は神に反する霊に対して毅然と立ち向かうことでした。


聖霊が私たち人間と神様をつなぐ働きをするとしたら、逆に悪霊は私たち人間と神様とのつながりを切り離す働きをすると言うことができます。現代という時を生きている私たちもやはりこの悪霊の影響を受けています。悪霊は、私たちを神様から引き離す働きをします。神様のことを忘れさせ、同時に人間同士の絆も弱めていきます。それぞれが自分中心になり、人の苦しみや痛みに無関心になり、愛の心が弱められていきます。これらすべて、悪霊がこの世にもたらそうとしている愛に反するものの姿であると言えます。悪霊の一番の狙いが私たちが神様とつながることがないようにすることであれば、悪霊の働きに対する一番の守りは、私たちがいつもどんな時でも、神様とつながり対話していくことです。心を通して神様に何でも自分の思いを伝えていく。何でも話していく。せっかく聖堂を訪れたのであれば、神様と心の対話をするための時間を取る。神様といつも対話している人に悪霊はたやすく近づくことはできないでしょう。私たちは聖霊と悪霊の働き方をよく見分け、悪霊ではなく聖霊に聞き従うことが求められます。そして私たちを真の幸せに導いてくださるのは、悪霊ではなく聖霊の働きによります。よく識別と言う言葉を使いますが、それは聖霊と悪霊に働きを見分けてゆくことです。そしてよく識別ができるために、自分の中の心の感情に気づいていくことが大事です。たとえば、私たちを落ち込ませるような働きは聖霊ではなく、悪霊の働きです。聖霊はいつも私たちを励まし、勇気づけてくださる働きをされます。同時に、聖霊は時に私たちをいましめ、何か大切なことに気づかせるために、きびしく働かれることもあるかもしれません。でも人を落ち込ませるような働き方は決してなさらないでしょう。悪霊の働きの特徴は、私たちを神様から引き離そうとすること、神様の存在を忘れさせようと働くということです。悪いことでも、これくらい大したことない、誰でもやっている、まじめに生きることはばかばかしいなど、いろいろなかたちで、またその人の弱い点をよく知って、上手に私たちを神様と反対の方へ導こうとします。また疲れすぎたり、気力の減退、また過度の緊張は、聖霊ではなく悪霊と合わさった行動の結果だと言えるでしょう。


中々、瞬間、瞬間に明確に聖霊と悪霊の働きを見分け識別するというようなことはできないかもしれません。でも後から自分の取った行動や、後に残った心の余韻などを丁寧に振り返っていくと、自分はどちらの霊の働きに聞き従っていたのかが見えてくるようになります。出来事の後で、自分の心の中に落ち着きや喜び、心が満たされている感じが余韻として残るなら、それは聖霊に聞き従うことができたしるしでしょう。そしてそのような行動を大事にしていったらよいのだと思います。何かを選ばなければならないとき、後からやはりあれでよかったのだ、あの選びがきっと聖霊が導いてくださった方だったんだと思えるような選びを大切にしていくことです。


私たちがこの世を歩む限り、私たちの生活から悪霊の働きが無くなることはないでしょう。世の終わりの時まで悪霊は何とか私たちを神様から引き離そうと働き続けるでしょう。だから祈らなければなりません。聖霊が注がれ私たちがいつも聖霊で満たされて歩むことができるように聖霊の助けを祈り続けます。神様が悪霊の存在をよしと思われないのなら、神様の力で全て悪霊を追い出してくださればよいのに、そんな思いを私たちはいだいてしまうかもしれません。でも神様は、私たちにも悪霊に立ち向かって歩むことを望まれているのだと思います。


現代という時代の中で悪霊がどう働いているか、どのように私たちを神様から引き離そうとしているか、そのことを落ち着いて見つめることが大事です。そして、私たちが悪霊ではなく、聖霊の働き、呼びかけに気づいて、そしてその働きに自分を合わせていくことを通して心の中が満たされていくことを願いたいです。この心の中が聖霊で満たされていくことこそ、本当の意味での安息になるのだと思います。私たちが聖霊の働きのすばらしさにもっと気づくことができるように祈りたいです。そしてイエス様もなさったように、汚れた霊、悪霊に力強く立ち向かって歩むことができるように祈りたいです。



 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年12月14日 待降節第3主日

マタイ11:02-11   第一朗読で預言者イザヤが荒れ野や荒れ地、砂漠に向かって「喜び躍れ、・・花を咲かせよ、野ばらの花を一面に咲かせよ」と呼びかけています。荒れ野、荒れ地、砂漠は草花の生育には適さない場所です。一面に花を咲かせることはふつうは考えられません。なぜ預言者イザヤはこのような言葉を語ったのでしょうか。   預言者イザヤがこの言葉を語った時代は、人々の間に閉塞感が広がっていた時代だった

 
 
 
2025年12月7日 待降節第2主日

マタイ03:01-12   待降節は、英語では「アドベントAdvent」と言います。その意味は「到来」です。待降節第2主日の福音では毎年、洗礼者ヨハネに関する箇所が読まれます。洗礼者ヨハネとともに、彼がその到来を告げ知らせた「来(きた)るべき方」に私たちも心を向けたいと思います。   私たちは今、主の降誕を迎えるために心の準備をする待降節を過ごしています。その過ごし方として大切なことは、自分の中に

 
 
 
2025年11月30日 待降節第1主日

マタイ24:37-44   今日から待降節が始まります。「待降節」という言葉はその字が表しているように「主の降誕を待つ季節」という意味です。そしてクリスマスを迎えるための心の準備をするという意味で祭服の色も紫になります。今年もこの待降節の時を大事にしてよき心の準備ができますように祈りましょう。   教会の典礼は、待降節から新しい1年が始まります。そして教会が教会にとっての1年の最初の主日に選んだ聖

 
 
 

コメント


© 2020 by Totsuka Catholic Church. Proudly created with Wix.com

244-0002 横浜市戸塚区矢部町641

(TEL)045-881-8882

(FAX)045-865-2026

bottom of page