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2020年4月19日 復活節第2主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2020年10月31日
  • 読了時間: 5分

ヨハネ20:19-31 ミサ説教

こちらに来て、今日が私にとって最初の主日のミサになります。今日、私たちがいただく福音の中のイエス様の言葉として、私は「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」という言葉を自分にいただいた言葉として大事にしたいと思いました。「信じない者ではなく、信じる者になる」。そして信じるとは今も復活されたイエス様は私たちのすぐ側にいてくださり、働いておられることを信じることです。復活されたイエス様は、今も私たちと共にいてくださいます。私たちも、それを信じる強い信仰を持って歩みたいです。

私は4月14日火曜日、東京からこちらに移って来ました。初めての場所で右も左もわからない中で、これからの新しい生活がどのようになっていくのかという思いもあったと思います。でも実際に来てみれば、自分の思い以上にすべてが神様からの計らいだったなと思えることがたくさんありました。新しく住むことになる戸塚教会の司祭館も信徒の皆さんがきれいに掃除してくださって気持ちよく生活を始めることができました。とてもよい教会に来ることができたと心から神様に感謝を捧げました。今、コロナウィルスの感染症のために特別な状況になっていますが、その状況の中で復活されたイエス様が私たちの中に共にいてくださることを信じて、その復活されたイエス様に私たちが心を合わせて、皆で知恵を出し合ってどうしたら私たちの信仰の絆がさらに強められていくことができるか考え見つめていきたいと思います。

今日の福音の場面で、イエス様が十字架につけられて息を引き取られた後、弟子たちは恐怖におびえ、1つの家に閉じこもって、中から戸に鍵をかけて災いが過ぎ去るのを待っていました。町の中ではイエス様の仲間を探し出して捕らえようとしていたかもしれません。そのような状況の中で弟子たちはおびえ、戸に鍵をかけて閉じこもっていたと思います。そんな弟子たちの中に、復活されたイエス様が現れ、弟子たちの「真ん中に」立たれます。そして弟子たちへの最初の言葉が「あなたがたに平和があるように」という言葉でした。イエス様を捨てて逃げてしまった弟子たちに、イエス様が語られた最初の言葉は、彼らの弱さを責めるものではなく、彼らの平和を願ってくださる言葉でした。弟子たちは、そのイエス様の言葉を聞いてどんなに喜んだでしょう。そしてそのイエス様の言葉によって勇気づけられました。そして喜びに満たされました。それまで弟子たちが求めていたのは、あくまで自分たちの身の安全だったでしょう。「弟子たちはユダヤ人を恐れて」(19節)とあるように自分たちの主であるイエス様が捕えられ殺されてしまった。自分たちにもどんな危害が及ぶか分からない。弟子たちはその恐怖におびえ、家に閉じこもり、中から鍵をかけて災いが過ぎ去るのを待っていたのだと思います。しかし、本当の平和は鍵をかけて閉じこもるところにはありません。いくら鍵をかけても心が恐れでいっぱいになっているなら平和はありません。本当の平和は恐れではなく、イエス様がいつも共にいてくださることを体全体で感じるところから来ます。復活されたイエス様と、心から出会う体験をしていく中に平和があります。自分たちが信じて従っていたイエス様が十字架の死で終わってしまったのではなかった。十字架の死を経て復活されたのだ。それはイエス様がなさってきたこと全てが正しいものだったことを証明する出来事でした。そしてこれからはイエス様がずっと私たちの中にいてくださることを指し示すものでした。イエス様はもういなくなられない。姿は目で見ることができなくなってもずっと私たちの中にいてくださる。復活されたとはそれを表しているということです。

その復活されたイエス様は、弟子たちに「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」とおっしゃいます。そして彼らに息を吹きかけて「聖霊を受けなさい。」と言われます。復活されたイエス様と共にいるとは、イエス様が送ってくださる聖霊に包まれることです。そして聖霊に包まれるとは、イエス様が御父から遣わされたように、私たちも遣わされる、派遣されることを表します。イエス様は私たちを真のいのちに導くために、聖霊を送られ、その聖霊は私たちを本当の平和を生きるために送り出します。復活祭の喜びを祝うということも、その喜びに閉じこもることではなく、イエス様が望んでおられる、私たちが聖霊に包まれ遣わされた者になっていくということです。

弟子の一人であったトマスは、復活されたイエス様が弟子たちの中に現れられた時、そこに一緒にはいませんでした。それゆえに「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければわたしは決して信じない。」と語ります。しかし復活されたイエス様はそのトマスにも現れてくださり、「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」と言われます。「信じない者ではなく、信じる者になること」。復活されたイエス様は今も、私たちの中におられます。その姿を直接見ることができなくても、私たちが信じて、復活されたイエス様とつながっていくなら、イエス様は私たちを通してすばらしい業を行ってくださいます。信じるとは、復活されたイエス様が今も私たちを通して働いてくださり、私たちが真の平和に包まれるように導いてくださることを信じることです。本当の平和はイエス様が共にいてくださるところから来ます。イエス様が共にいてくださる、だから恐れることはない、これがキリストの平和です。ミサの最後に「行きましょう、主の平和のうちに」と司祭は呼びかけます。私たちがその言葉を聞くとき、いつも復活されたイエス様が共にいてくださる平和に満たされて、日々を歩んでいくことができるように祈っていきたいです。イエス様は今も私たちに聖霊を送り、派遣へと導かれます。私たちもそのイエス様の呼びかけに大きく応えていくことができますように。

 
 
 

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