ヨハネ16:12-15
今日は三位一体の主日です。神様が父と子と聖霊で、完全に一つの心、一つの神としていてくださいます。その神様について伝えるとき、私は神の独り子であるイエス様のことから始めると伝えやすいと思います。神様は私たちの目でその姿を直接見ることはできません。でも2千年近く前、イエス様がこの世に来てくださり、話をし、力ある業を行ってくださったことによって神様の姿と心を表してくださいました。イエス様は、私には父がいるとおっしゃられ、御自分の父である方、天の父についてたくさんの話をしてくださいました。神の子であるイエス様が伝えてくださったから、私たちは天の父がどのような方か、またどのような心の方か知ることができます。イエス様にとってもこの御自分の父である方がとても大切な方であり、いつも天の父に向かって祈っておられました。イエス様にとって祈りとは御自分の父と何でもお話なさることでした。そしてイエス様はご自分の父の御心のままにすべてを行なわれました。最後は、御自分のすべてを与えて十字架の上で命を捧げてくださいました。イエス様がなさったことはすべて天の父の心と同じでした。
イエス様は、御自分のすべてを捧げて歩んでくださり、十字架の死を経て復活なさいました。そしてイエス様の昇天後、約束されたとおり聖霊が天の父のもとから送られ、その聖霊の中で父である神様もその独り子であるイエス様も共に働いてくださっています。これが、私たちが信じている神様の姿です。私たちが信じている神様は、父と子と聖霊、イエス様の父である神様とその独り子であるイエス様、そしてそのもとから遣わされている聖霊。父と子と聖霊だけど完全に一致し一つの神様であること。これを私たちは三位一体と呼んでいます。三位一体と聞くと何か難しいことのように聞こえますが、決して難しいことではなく、神様は父と子と聖霊で、完全に一つの心、一つの神としていてくださるということです。
その神様の姿を私たち人間の救いの歴史の中で見るなら、このように言うことができます。イエス様がまだこの世に遣わされる前の時代、いわゆる旧約の時代は父なる神様が働きの前面に立っておられました。天の父は預言者たちを通してご自分の思いを告げられ、御自分に立ち帰ることを呼びかけられました。しかし、それでもかたくなな人間が神様の呼びかけに十分に応えることをしなかったので、天の父は御自分の独り子であるイエス様をこの世に送られました。イエス様がこの世で私たちと共に歩んでくださったことによって私たちはより近く神様のことを知ることができました。そして今という時代は、私たちの目に見えないかたちで聖霊が私たちの中で働いてくださっています。聖霊は私たちの心に働きかけ、私たちの心をうながし、私たちが天の父に向かって歩むことを支えてくださいます。私たちが気づいていないだけで、聖霊はいろんなかたちで私たちを保護し、支え、導いてくださっています。その聖霊の働きの中に天の父もイエス様も心を一つにして共にいてくださっているということです。現代という時代を生きる私たちが、神様のことをより深く知り、その心にふれて歩むことができるために何が大切でしょうか。神様は目に見えないかたちでも、確実に私たちの中に共にいてくださっています。そして私たちと歩みを共にしてくださっています。
私たちが心を通してその神様に何でも話し、神様と心を合わせて歩む生き方を大事にしていくとき、その歩みの中で、またその歩みを振り返る時、ふと神様が共にいてくださっているのは本当だと感じられるということです。ただじっと何もしないで待っているのではなく、また自分の願いだけを祈りとして捧げるのでもなく、自分も神様と心を合わせて歩むように努めていく時、神様はきっとご自分の存在を私たちに感じさせてくださいます。一人ひとり自分の中で、神様とつながり、神様を感じる場を大事にして歩むこと。そのために何でも神様に伝え、その神様が自分の側にいてくださることを感じ取っていくこと。イエス様が教えてくださった神様の姿、父と子と聖霊で完全に一致し一つであられる神様に、私たちもつながって、神様がもっておられる交わりに私たちも与りたいと願います。その喜びに与るために、今の私たちの生活があるのだと思います。
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