ルカ13:01-9
私たちは、災害や病気、様々な不幸に直面する時、それを人間の罪の結果だとするとらえ方をします。また神様がおられるのなら、なぜこんな悲惨なことをお許しになるのだろうかと、災害や禍をあたかも神様の意志で行われているかのように見る傾きがあります。しかし、実際に災害も病気も神様から人間に与えられているものではありません。
イエス様は「あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる」と言われます。イエス様が求められる悔い改めとは何を指しているでしょうか。イエス様はこの世に人として来られ、自分の姿と行いで、御父がどのような心の方かを明らかにしてくださいました。そしてその一番の特徴は、罪人である人間を裁くのではなく、温かく接し、励まし、道を示すことで人間の立ち上がりを助けるということでした。そういう意味での救い主であることを示そうとされたということです。今日の福音の実をつけないいちじくの木の話でも示されているように、3年待っても実をつけないいちじくの木を切り倒せといわれる主人に向かって、「今年もこのままにしておいてください。周りを掘って肥やしをやってみます。それでも実をつけなかったら、そのとき切り倒してください」と懇願してくださる方。それがイエス様の姿なのではないでしょうか。そのような心で私たちのためにとりなしてくださる方。その方を信じて私たちはここに集まっているのだということ。そのイエス様が一番願われることは、弱さをもった人間である私たちが、神様とはどういう方か知ること、その心にふれること、そして私たちもそのイエス様の心に倣い、同じような愛を生きるようになることだと思います。このいちじくの木のたとえの園丁のように罪人の滅びではなく、立ち上がりを願われた方。実がなるような木になることを心から願い、そのために力を尽くしてくださる方。そのために自ら下になり、へりくだり、人々を支え、励まし、自分のいのちさえも与えてくださった方。ミサの度ごとにそのことが記念され、そしてまったく同じ心で私たちにご自分の体を御聖体として与えてくださる方。そして私たちにもイエス様と同じ心になって皆が一つになることを心の底から願ってくださっている方としてイエス様を仰ぎみることです。
イエス様の言葉で有名な言葉として「敵を愛しなさい」ということばがあります。敵など愛せるわけがないというのが私たち人間の思いです。でもこの自分の敵を弱さをもった罪人だと思うことができたらどうでしょうか。敵とまでは言えなくても自分が苦手としている相手、自分と意見が違う人、自分と対立する人、そのような人をその人も弱さを抱えた罪人なのだ、イエス様が罪人を裁かず愛されたように、励まされたように、祈られたように私もその人を裁かずその人の回心と立ち上がりのために祈る、罪人のために祈る、それならできるかもしれない、そう思います。そのような私たちの生き方こそ、回心の生き方であり、イエス様と同じ心になっていく、実をつけるいちじくの木になっていく生き方ではないかなと思います。「今年もこのままにしておいてください、周りを掘って肥やしをやってみます」という言葉を、自分のために願ってくださった言葉として素直に受け止められたらすばらしいと思います。悔い改めはまずその意識から始まるのかもしれません。
四旬節は、自分と神様との関係をもう一度振り返ってみる時です。自分が日々どのように神様と向き合うことができているか。日々の生活の中で神様への呼びかけを行うことができているか。私たちにとっての罪とは、何か悪い行いをすると言うより、神様から離れ、神様を忘れて歩んでいる私たちの生活の姿を指しているのではないでしょうか。私たちにとっての滅びとは、自分たちが神様との関係を永遠に失ってしまうことです。そして神様が求められる悔い改めとは、私たちが日々の生活において神様との関係、つながりを回復することです。朝、起床した時から神様に心を向け、天の父よ、イエス様、聖霊と神様の名を呼んでみる。そして神様に心を向けて今日一日の御保護を願うと同時に、自分も神様を意識して、自分を捧げる生き方ができますようにと願ってみる。一日の内、何度でも神様を意識して、神様の名を呼んでみる。そして神様が喜んでくださることを実行してみる。私は一日の内、何度もイエス様に「イエス様、私はあなたを愛しています」という言葉をかけるように心がけています。そうすると不思議とイエス様も私に心を返してくださることに気付いています。何気ないことですが、このような小さな意識とイエス様への働きかけによって私たちは神様との関係を深めていくことができます。
どうか、この四旬節の間、毎日の生活においてイエス様を意識し、呼びかけ、それを通してイエス様が自分を通して働いてくださることを実感できるようになっていきたいです。日々イエス様と対話し、つながることを通して、私たちも真の愛を生きる者になっていきたいです。
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