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2022年1月23日 年間第3主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2022年1月22日
  • 読了時間: 4分

ルカ01:1-4、4:14-21 年間第3主日(2022年1月23日)


私たちは何を祈っているかといえば、それは幸せだと思います。幸せになりたい、それは誰もの心にある正直な祈りです。私は、その祈りは尊く大事な祈りだと思います。そのような自分の正直で素直な思いを認めて神様に心を向けていくことを神様も望んでおられるからです。私たちは皆幸せになりたいと祈ります。そして本当の幸せとは心が満たされること、そのような思いでいっぱいになることです。苦しみがなくなることも確かに幸せなことにちがいありません。しかし、そのことだけに幸せの価値を置いていたら、本当の幸せ、心が満たされることから遠ざかってしまうように思います。


今日の福音でイエス様は、ご自分が何の目的でこの世に来られたかを宣言してくださっています。「主の霊がわたしの上におられる。貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである」。イエス様が言われる福音とは主の恵みのことであり、それは私たちに本当の自由と解放をもたらすものです。


第一朗読のネヘミヤ記に律法という言葉が何回も出てきました。旧約時代、人々に大きな影響を与えていたのはトーラーと呼ばれる律法でした。律法は、イスラエルの共同体の生き方を示し、主なる神との関係および神礼拝を確かなものとするために神が与えたものでした。約600の掟があり、人々の生活の規範となっていました。私たちも旧約聖書の最初のモーセ5書と呼ばれる部分を開けば、そこに様々な生活の掟、規範が記されていることを目にすることができます。その律法もイエス様の登場によって、細かく分けられた掟ではなく、神を愛することと、隣人を自分のように愛することに集約されることが示されます。細かい掟に従うというよりも、イエス様を愛し、イエス様に聞き従って歩むことが律法を完成させることになります。イエス様を信じ、イエス様を大切にする。毎日イエス様と対話し、イエス様のおっしゃることを大事にして日々の生活を送る。その生き方と歩みが私たちを自由にし、喜びに与ることができます。


イエス様は、私たちが内に秘めている人間の心のゆがみを元に戻そうとしてくださる方です。そして私たちを不自由にしている罪の束縛とそこから来る圧迫と抑圧を追い払おうとされます。それは私たちがもともと神様から与えられていた姿を回復し真のいのちを生きるためです。捕らわれている人に解放をもたらすとは、罪のしがらみに捕らわれ縛られている人をそこから自由にすることです。目の見えない人に視力の回復を告げるとは、この世で生きる意味・目的を見失っている人々に、人間が真に生きる意味を指し示すことです。貧しい人に福音を告げる。貧しい人とはさまざまな人間と社会のゆがみによって傷を受けている人、そしてその中で神様に力を願っている人、神様の言葉に希望を置き、聞き従おうとしている人のことです。その貧しい人にイエス様は福音をもたらすとおっしゃいます。


私たちに必要なことは、自分の中にあるゆがみ、社会の中にあるゆがみを認め、そこから神様に心を向けて、自分も神様の恵みを必要としている貧しい人々の一人であることを表していくことです。心から神様を求め、神様に希望を置く人を神様はきっと導いてくださるでしょう。



パウロのコリントの教会への手紙にあるように「目が手に向かってお前は要らないとは言えず、また、頭が足に向かってお前たちは要らないとも言えません。それどころか、体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」私たちは、それぞれがキリストの体の大事な部分であり、互いにお前は要らないとは言うことはできません。体に分裂が起こらず、各部分が互いに配慮し合う、そのような社会を築き上げていくこと。それが神様から私たちに向けられた望みであるということです。


人があるべき姿を回復して神のいのちを生き始める。その神様の望みに私たちも自分の生活を

通して応えていけるように祈りたいです。私たちがどんなにうまくいっていなくても、神様のあたたかい心は現代に生きる私たちにも変わることなく向けられ続けています。その神様の慈しみを信じて歩みたいです。










 
 
 

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