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2021年3月21日 四旬節第5主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2021年3月21日
  • 読了時間: 4分

ヨハネ12:20-33 四旬節第5主日(2021年3月21日)


私は子どもたちにイエス様の話されたことを話す時、時々絵本を使うことがあります。直接絵本の話の中にイエス様が出てこなくても、イエス様がお伝えになられたかったこと、本当の愛について教えてくれる絵本はたくさんあります。その中の一つで「ちいさなクレヨン」という絵本があります。折れて短くなってゴミ箱に捨てられてしまった黄色いクレヨンが、僕はまだまだ役に立ちたいと思って、ゴミ箱から飛び出して旅をしていきます。そしてその中で出会った色が消えかかった子どもの運動靴のひよこの絵やおもちゃの自動車、道端の小石をきれいな黄色にぬってあげていきます。でもクレヨンですから、使えば使うだけ体は短くなってしまいます。それでも体が短くなっても、みんなからきれいに塗ってくれてありがとうと言ってもらえた喜びに変えられるものはないと感じます。そして最後、光が消えそうになっている夜空の星に向かって、豆粒みたいになってしまった自分の体を全部使ってあのお星様を塗りに行こうと思って、その星に向かって旅立っていくところで、この絵本の話は終わります。この「ちいさなクレヨン」という絵本は普通の本屋さんの絵本のコーナーに置いてある、誰でも購入できる絵本です。私は初めてこの絵本を手にした時、このクレヨンのお話はイエス様が話された「一粒の麦が地に落ちて死ななければ」の話そのものだと感じました。クレヨンは自分の体を使えば使うだけ体は短くなっていきます。それでも体が短くなっても人からありがとうと喜んでもらえる以上の喜びはないということです。


イエス様が言われる「一粒の麦、地に落ちて死ななければ」ということの意味は、神様が望まれる本当の愛の生き方には、どこかで自分に死に、自分を与え捧げていくことが求められる。でもその生き方こそ真の喜びにつながり、いつの日か永遠のいのちの喜びに与ることができるというものです。世の中には、自分を捨てて自分が死んでしまったら、自分には何も残らないではないか。そして自分をあけ渡してしまったら、自分がなくなってしまい、そうなれば自分が存在する意味がない。そう感じる人が多いかもしれません。あくまで自分が大事だとするとらえ方です。しかし、イエス様の呼びかけは、私たちが自分に死ぬ生き方をすることで、逆に自分が解放され、真の自由を生きることができる。なぜならその自分の中に神様が働かれるからだということです。そしてその神様の働き、神様の力は計り知れない。私たち人間の力、働きをはるかに超えておられ、すばらしいということです。自分に固執せず、自分に死ぬことを通して神様の業が行われる。そして多くの実を結ぶ。このような真理を私たちが大事に受け止め心に刻み、それを実践していくことができるように祈りたいです。



今年の四旬節も来週の日曜日は、枝の主日を迎え聖週間が始まります。そしてその次の日曜日は復活の主日です。今年も、もうそのような時に来ています。来週の日曜日から始まる聖週間。それはイエス様が最後どのように茨の苦しい十字架の道を歩まれたか、そのお姿に目を向けます。イエス様がその身に受けてくださった苦しみは、すべて私たちを救うための苦しみでした。そしてイエス様はその十字架の死を復活の栄光につながらせてくださいました。私たちも人生を歩む中でたくさんの十字架に出会います。その中で力を失い倒れてしまうこともあります。それでも十字架を担ってくださったイエス様がいつも私たちの側にいてくださり、共に歩んでくださっていることを思って、イエス様にしっかりつながってこの人生を歩んでいきたいです。


自分に死んで、人の喜びのために自分を捧げていく生き方が、必ず多くの実を結ぶこと。イエス様が教えてくださった生き方はそのような生き方です。私たちもいつかこの世を旅立って、神様の元へ招かれる時が必ず来るでしょう。その時イエス様が教えてくださった生き方が本当に大事な生き方であったことを知るでしょう。今、生きる時間を与えられている私たちが、もう一度イエス様に心を向け、イエス様が教えてくださった一粒の麦の生き方を自分のものにできるように祈りたいです。そして残り少なくなった今年の四旬節の日々を大切に過ごしていきたいです。


 
 
 

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