マルコ10:02-12 年間27主日(2021年10月3日)
今日の福音では、イエス様を試そうとして離縁することについての是非を問いかけたファリサイ派の人々と、その対照的に子どもたちが人々に連れられてイエス様のもとにやって来ます。イエス様はファリサイ派の人々の問いには神様が人間を創造されたその思いをもって問い返されます。しかしイエス様のもとに集まった子どもたちには抱き上げて祝福をなさいます。この二つの異なる態度の中にイエス様の心が表されています。ファリサイ派のように神様の思いを曲げて解釈しようとする態度に対しては、イエス様は鋭く厳しい態度でのぞまれます。その一方で子どもたちと子どもたちを連れて来た人たちに対しては祝福をもって迎えられます。この人たちは、ただただイエス様にお会いして、子どもたちにイエス様が触れてくださることを願ったのでしょう。「イエス様に触れていただきたい」この思いと態度は私たちの信仰の中で本質的な部分だと思います。
子どもたちは何かを願うというよりも、イエス様に触れていただくことを望んでやって来ました。自分の願望、望みが聞き入れられるかどうか以前に、イエス様に触れていただきたいと願いました。私たちにも同じ態度が求められています。そして私たちの目ではイエス様の姿を直接見ることはできなくても、心からイエス様に触れていただくことを願うなら、イエス様はそれに応えてくださるでしょう。それが真実であることを信じられるようになるということが本当の信仰ではないでしょうか。
自分が納得できるかどうか、自分の願いがかなうかどうかを超えて、神様のよさを信じる。そして神様の思いを第一にする。自分の願いを二番目にする。結婚生活も同じでしょう。本当によきパートナーに出会えたことを喜ぶと同時に一緒に何を目指すかをよく見つめる。自分たちの思い、願いがかなうことだけを求めるのではなく、夫婦として神様の思いを第一にして生活できる間柄になる。それが結婚生活において求められています。
神様は「人が独りでいるのは良くない。彼に合う助ける者を造ろう」とおっしゃいました。そして人間を協力しあい、助けあうことができるようにお造りになられました。そしてそのような人間の関係の中に本当の喜びを見出すようにされました。神様が人間を造られた目的は、交わりそのものに意味と価値、そして喜びがあるということです。
人生の中で必ず困難や苦しみに出会います。でもその時その時に一緒に歩んでくれる存在がいるならどれほど力になるでしょう。困難や苦しみを通して、より絆の強い仲間に成長していくこと。人と人とがこのように出会い、向かい合って生きていくことは、神様にとっても大きな喜びでしょう。苦しみの体験を通して同じ思いになり、支えや力となる言葉をかけてくれる仲間が身近にいることのありがたさを強く思う。神様は私たちにそのような関わりをもって歩むことを望んでくださっているように思います。もし、自分の周りには誰も自分と同じ思いになってくれる人がいないと感じる人がいるなら、それでも神様は私の思いを受け止め理解してくださる方だということを思いたいです。神様は人間の失敗も含めて日々私たちを受け止め、暖かく包んでくださる方だということを改めて思うことができるように、その恵みを願いたいです。そのような暖かい神様の心を思いながら、その神様が私たちに互いの暖かい交わりを望んでおられることを大事にしていきたいです。
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