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2020年12月20日 待降節第4主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2020年12月20日
  • 読了時間: 4分

更新日:2021年1月17日

「マリア」という映画を以前、観たことがあります。その映画を通して、実際の歴史の出来事の中でのマリア様の心の動きがよく伝わってきました。聖書だけを読んでいると、クリスマスの出来事も何か天使のお告げがあり、そして時がきたらイエス様がお生まれになった。それが旅の途上で馬小屋であったというようなあまりに簡潔に描いてしまう危険があります。実際には天使からのお告げがあってから、イエス様が誕生されるまでの10ヶ月の間にはマリア様の心の中には大きな動きがあったはずです。そのようなことをあらためて丁寧に思い起こし、見つめ祈ることがとても大切だと思います。


天使はマリア様に「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる」と言います。ある人が、神様から恵まれるとは、何か特別な賜物とか贈り物を贈られるということではなく、神のまなざしが注がれることであると言われたことがあります。神様がまなざしを注いでくださる、自分に目を留めてくださる、それが恵みなのだと。


マリア様はお告げを受けたときそれが何を意味するか正直よくわからなかったでしょう。ただ神様が自分にそうお望みになられるのであれば、自分としてできることは「私は主のはしためです。お言葉どおりこの身になりますように」とお答えすることだったということ。神様が望まれるのであれば、私ができることはそうなるように自分を差し出すという態度。私たちの生活の中にも似たようなケースはたくさんあると思います。こうすることによってこの先どうなるか自分でもわからない。今日そして明日どうなるか。しかし神様はそれでも御自分の言葉に従って、そして御自分の導きを信じて歩んできてくれる人を求めておられる。大切なことは、どうなるかわからなくても神の導きを信じて歩む。神の言葉に従って歩む。自分としてできる精一杯のことを捧げることだと思います。そして一日を終えるとき今日一日自分として精一杯歩めたと自分で自分に思えることが神様の目にも尊く写るということです。


神様がこの世で救いの業をなさるとき、必ず人間の協力を求められます。神様はご自分だけで救いの業をなさることを望まれない方です。マリア様も、ヨセフ様も、そして洗礼者ヨハネも、皆人間として神様の救いの業に協力した人たちです。そして彼らに共通しているところは、深い信仰です。神様への深い思いと尊敬です。そしてそのために自分を差し出していく、道具となっていく生き方をしたということです。


神様の救いの業への協力は、もう2千年前で終わってしまったのでしょうか。私たちのあり方や姿を見ていると、無意識のうちにそのような態度になってしまっている感じがします。自分はただ受けるだけ、恵みを待つだけという態度を取っていないでしょうか。自分の方から何か神様に捧げていく、神様の救いの業に自分で協力できることを探していく、そのような積極的な姿を取れているだろうかと思います。現代という時代においても、マリア様と同じように神様からの呼びかけがなされている気がします。ただ私たちの耳がそのことを聞くことができていないのだろうと思います。心の中が自分のこと、自分の思い煩いで一杯になって、また世の中の雑音で耳がふさがってしまっているからかもしれません。


「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられる。」という天使の言葉は、私たちにも向けられています。神様は私たちが気がつかなくても、私たちと共にいてくださる方です。そのことを少しでも心の中で、また生活の中で実際に感じられる恵みを願いたいです。


毎日の生活の中には、いろいろな出来事があります。その出来事やその背景の中に神様が共におられ、私たちに救いの呼びかけをしてくださっています。そのことに心をとめることができること。その呼びかけを聞き取っていくことができることを祈り求めたいです。出来事の中に神様が共にいてくださることと、私たちを支えながら同時に呼びかけ、うながしも与えてくださっていることを感じ取って、その呼びかけに応えていきたいです。人間の弱さを身に帯びつつも、神様が救いのみ業を成就していく上での道具となり、働き手に自分がなっていくということ。


「わたしは主のはしためです。」と自分の姿を素直に見つめたマリア様のように、私たちも神様の前での自分の姿を見つめ、神様の思いが自分のうちに実現していくように祈りたいです。人間の人生として、神様に祝福された歩みこそ、一番幸せな生き方だと言えます。そのような歩みを大切にしていきたいと思います。


 
 
 

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