top of page

2024年3月17日 四旬節第5主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2024年3月16日
  • 読了時間: 4分

ヨハネ12:20-33

 

「キリストは、肉において生きておられたとき、激しい叫び声をあげ、涙を流しながら、御自分を死から救う力のある方に、祈りと願いとをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。キリストは御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました。」これはヘブライ人への手紙の中の一節です。イエス様が受けられた苦しみが書き記されています。同時にイエス様がこの苦しみを受けてくださったことによって、私たちの救いの源になってくださいます。言葉を変えて言えば、私たちはこのイエス様の救いの業なしに救われることはないということです。人間は自力で救いの道を歩むことはできません。イエス様を信じつながることなしに救いはないのです。私たちは心のどこかでやはりそのことに触れていないといけないのだと思います。

 

イエス様は言われます。「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば。多くの実を結ぶ。自分の命を愛する者は、それを失うが、この世で自分の命を憎む人は、それを保って永遠の命に至る。わたしに仕えようとする者は、わたしに従え。そうすれば、わたしのいるところに、わたしに仕える者もいることになる。わたしに仕える者がいれば、父はその人を大切にしてくださる。」私は、ここに神様の思いが集約されて示されていると思います。神様はこのように考えておられる。私たちが生きるべき歩むべきあり方はこうなのだと示されています。誰も自分に死ぬことを積極的に受け入れる人はいないでしょう。逆に自分が認められ、評価され、活かされる生き方を望むでしょう。でも神様のお考えはそうではないのです。私たちはこのことも心のどこかで受け止めていないといけないと思います。

 

世の中には、自分を捨てて自分が死んでしまったら、自分には何も残らないではないか。そして自分をあけ渡してしまったら、自分が無くなってしまい、そうなれば自分が存在する意味がない。そう感じる人が多いかもしれません。あくまで自分を大事にするとらえ方です。しかし、イエス様の呼びかけは、私たちが自分に死ぬ生き方をすることで、逆に自分が解放され、真の自由を生きることができる。なぜならその自分の中に神様が働かれるからだということです。そしてその神様の働き、神様の力は計り知れない。私たち人間の力、働きをはるかに超えておられ、すばらしいということです。自分に固執せず、自分に死ぬことを通して神様の業が行われる。そして多くの実を結ぶ。このような真理を私たちが大事に受け止め心に刻み、それを実践していくことができるように祈りたいです。

 

今年の四旬節も来週の日曜日は、枝の主日を迎え聖週間が始まります。そしてその次の日曜日は復活の主日です。今年も、もうそのような時に来ています。来週の日曜日から始まる聖週間。それはイエス様が最後どのように茨の苦しい十字架の道を歩まれたか、そのお姿に目を向けます。イエス様がその身に受けてくださった苦しみは、すべて私たちを救うための苦しみでした。そしてイエス様はその十字架の死を復活の栄光につながらせてくださいました。私たちも人生を歩む中でたくさんの十字架に出会います。その中で力を失い倒れてしまうこともあります。それでも十字架を担ってくださったイエス様がいつも私たちの側にいてくださり、共に歩んでくださっていることを思って、イエス様にしっかりつながってこの人生を歩んでいきたいです。

 

自分に死んで、人の喜びのために自分を捧げていく生き方が、必ず多くの実を結ぶこと。

イエス様が教えてくださった生き方はそのような生き方です。私たちもいつかこの世を旅立って、神様の元へ招かれる時が必ず来るでしょう。その時イエス様が教えてくださった生き方が本当に大事な生き方であったことを知るでしょう。今、生きる時間を与えられている私たちが、もう一度イエス様に心を向け、イエス様が教えてくださった一粒の麦の生き方を自分のものにできるように祈りたいです。そして残り少なくなった今年の四旬節の日々を大切に過ごしていきたいです。


 
 
 

最新記事

すべて表示
2026年4月19日 復活の第3主日

ルカ24:13-35   私たちは今、イエス様が復活されたその喜びを味わう復活節を過ごしています。そしてそのイエス様が復活された出来事と自分がどうつながることができるか、どうつながっていったらよいか、そのことが今生きている私たちに問いかけられていると思います。イエス様は確かに復活されました。そして喜びの知らせを伝えてくださいました。しかしその出来事と今の自分がどうつながることができるのだろう。この

 
 
 
2026年4月12日 復活の第2主日

ヨハネ20:19-31 イエス様が十字架につけられて息を引き取られた後、弟子たちは恐怖におびえ、1つの家に閉じこもって、中から家の戸に鍵をかけて災いが過ぎ去るのを待っていました。この家の戸は、彼らの心の戸を表していると言えるかもしれません。弟子たちは恐れから心を閉ざし、現実から離れて閉じこもっています。そんな弟子たちの中に、復活されたイエス様が現れ、弟子たちの「真ん中に」立たれます。そして弟子たち

 
 
 
2026年4月5日 復活の主日

ヨハネ20:1-9   私たちはこの木曜日から聖なる3日間を過ごしてきました。そこで記念されていたのは、神の子であるイエス様が弟子たちの足を洗い、御自分の体である聖体を制定し、十字架の苦しみを担って亡くなられたということでした。そしてそれは神様がどのように私たちを愛してくださっているかを表すものでした。神様は高みから人間を見下ろす方ではなく、逆に私たちの下になって私たちの足を洗ってくださる方、私た

 
 
 

コメント


© 2020 by Totsuka Catholic Church. Proudly created with Wix.com

244-0002 横浜市戸塚区矢部町641

(TEL)045-881-8882

(FAX)045-865-2026

bottom of page