2023年8月27日 年間第21主日
- カトリック戸塚教会
- 2023年8月26日
- 読了時間: 4分
マタイ16:13-20
私は今までイエス様を意識し大切にすること、そのために私たちが出来ることの一つとして、毎日イエス様に呼びかけ、イエス様と対話していくことの大事さを繰り返し話してきました。それがどれくらい皆さんの心に届き、実践につなげてくださっているかなと思っています。ある人にとっては、イエス様の存在は遠い2千年前のことであり、イエス様を信じてはいても、現代という時代の中で直接イエス様の存在を感じたり、語りかけたりするのは難しいのではないかと感じる人は多いと思います。教会に来ても、祈っても、そのことが直接イエス様の心に触れていくことにつながっていかない。イエス様の存在をどこか遠い存在に思えてしまう。そのように感じている人は結構多いと思います。
世の中には本当の救いを求めている人は多いです。でもそれが直接、神の子であり私たちの救い主であるイエス様につながっていっていないことも事実です。その現実を見つめながら、今日の福音の中で私たちが耳にしたイエス様の言葉、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」という問いに、私たちはどう答えることができるでしょうか。ただ言葉で告白するだけで終わらない、何か心の奥深い所からわきあがるイエス様に対する信仰の告白ができないでしょうか。自分としてイエス様のことをどのように受け止めていくか、それはペトロや他の弟子たちだけでなく私たち一人ひとりにも問いかけられています。ただ漠然と信じ、生きるのではなく、しっかりとイエス様に触れて、イエス様が今も私たちの中に、私たちのすぐそばにいてくださる方として受け止めながら歩んでいきたいです。
私は最近一つのことを大事にしています。それは1日のうちでほんの少しの時間でよいから、透明な澄んだ心でイエス様に心を向けるということです。頭を使わず、ただ透明な、澄んだ心になることを意識して、その心でイエス様に心を向けてみます。目を閉じ、ただイエス様だけを思う。そして今の自然な飾らない自分の姿をイエス様にお伝えしていく。それを続けていくなら、私たちはイエス様に触れ、そして自分がすべきこと、なすべきことがわかってくる感じがします。人から言われたからではなく、イエス様と透明な心で向き合うことができたから気づくことができることがあります。
イエス様からの「あなたはわたしを何者だと思っていますか。」という呼びかけに、人から教えられたからでなく、自分の心から叫びとしてあなたは私にとって生ける神の子キリストです。他のどんな存在とも比べることができないまことの神、そして私たちを真の救いへの道へ導いてくださる方ですと、心から叫んで歩んでいきたいです。イエス様をどこか遠い存在として崇める対象としてではなく、もっと身近に生活体験の中で触れていく、感じていくことを大事にしたいです。
先週の福音で、イエス様にまっすぐ向き合いイエス様に心からの願いを伝えたカナンの女性のことが描かれていました。そしてイエス様は、カナンの女性のイエス様に対する態度をご覧になって、「あなたの信仰は立派だ」とおっしゃいました。カナンの女性は、ただ奇跡を求める信仰ではなく、イエス様を認めて、イエス様に近づいて自分の思いを伝える信仰の態度を表しました。イエス様は現代という時代でも決して遠い存在ではありません。美しい朝顔の花の色一つを眺めるだけでも、その背後に神であるイエス様の存在を感じ取っていくことができます。
今日の福音でイエス様はペトロに「あなたはぺトロ。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」と言われます。このイエス様が言われる教会とは建物のことではなく、イエス様とつながりイエス様と共に歩む私たちの姿を指しておられるでしょう。そしてイエス様はペトロに「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」と言われます。それはペトロに天の国の管理を任せるということです。同時に人々が天の国に入ることができるようにしっかり導きなさいという使命の呼びかけでもあります。ペトロと同じように私たちが人々を天の国に導くことができるために、私たちは何をもっと大切にしたらよいでしょうか。それは日常生活の中でもっとイエス様を意識し大切にし、イエス様と共に働く気持ちを持つことです。そしてイエス様が私たち中で働いてくださることを感じ取る、その心をもっと大事にしていくことです。私たち教会が、人々をもっと天の国に導くことができるためにできること、すべきことをしっかり見つめ実行していかなければと思います。その力を祈り求めたいです。
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