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  • 執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2023年7月23日 年間16主日

マタイ13:24-30


今日第一朗読で朗読された知恵の書で示されているのは、「神は全き権能を信じない者に御力を示され、知りつつ挑む者の高慢をとがめられる。力を駆使されるあなたは、寛容をもって裁き、大いなる慈悲をもってわたしたちを治められる。」ということです。これは、神様は神の全能を信じない者に力を示され、神に挑戦する者の高慢をとがめられる。しかしその神様がなさる裁きは、寛容で大いなる慈悲をもった裁きであり、神様は一息で神に逆らう者を滅ぼす力を持っておられるけれども、その力をむやみに用いることをなさらないということです。神様はいつも大いなる忍耐を持って、人間が心を神に向け直すことをずっと待っておられます。これが知恵の書で書かれていた内容です。


この神様の思いは、今日の福音のイエス様がなさったたとえ話でも示されています。この世の中には、イエス様のたとえに出てくるようによい麦と毒麦の両方が混在しています。そして人々はたとえに出てくる僕たちのように、毒麦は抜き集める必要があると考えます。しかしイエス様はよい麦も悪い麦も両方育つままにしておくように言われます。それは人間の思いと神様の思いは違うからです。神様には人間の考えとは違う大きな計らいがあります。神様は早急に結論を出されません。大きな愛を持って人間の回心を待ち続けられます。それが神様のなさり方であるということです。神様が刈り入れの働きをなさるのは世の終わりの「収穫の時」です。それは今ではありません。今は神様が毒麦の存在と働きを忍耐される時です。イエス様は全ての人に対して憐れみ深く、忍耐強く宣教されます。それは「収穫の日」が来たら、必ず父なる神が悪を裁かれることを知っておられるからです。そしてその日、からし種やパン種のたとえが示すように、天の国は人間の理解をはるかに越えた豊かな実りをもたらすということご存知だからです。そして収穫の時、すなわちこの世の完成の時が来たら、毒麦は集められ、火で焼かれます。つまずきとなるものすべてと不法を行う者どもは集められ、燃え盛る炉の中に投げ込まれます。世の終わりの時、神様の思いと相容れないものは、神様と共に存在し続けることはできません。このようなイエス様を通して示された天の父の思いを私たちはもっと大事に心に留めるべきです。この世でどのような生き方をしても最後は皆同じではないのです。神様はやはり正義の裁きを行われるのだと思います。現代は、麦と毒麦が混ざって存在している状態です。だから様々な問題、不和、対立、ねたみ、争いが起こります。そのような中で、私たちは麦と毒麦をよく区別して歩まなければなりません。なぜ悪が存在しているのか、それを問いかけても答えは得られないでしょう。現実として悪は存在し、私たちの中で働き続けています。もしそうであれば、その特徴を見極めて、自分が悪に引きずられないようにいつも聖霊に聞き従って歩むことを大事にすることです。現代における悪霊の働き方は、私たちを脅したりこわがらせるかたちを取るのではないと思います。逆に上手に私たちの中に入り込んで、私たちを神様から引き離す働きをします。私たちが神様を忘れ、神様に心を向けず、利己主義になり、その結果人間同士の間で対立や争いを起こさせ、人とのつながりや絆を切り裂いていきます。それが悪霊の一番の狙いです。大事なことは私たちが神様の思い、意志を見出してそこにつながった生活をしていくことです。そしてそれは自分にできるかたちで日々を感謝の心で過ごし、自分ができる愛を表していくことです。そのためにも私は毎日イエス様を意識し、イエス様と対話し、今日も私と共にいてください、一緒に働いてくださいとイエス様に願っていくことが大事だと思います。そのようにイエス様と対話する人にイエス様は必ず共にいて働いてくださいます。私たちも心の目を神様の大きな働きに向けて、日々聖霊のうながしを大事にして歩みたいです。私たちが毎日のその生活を積み重ねることで滅びではなく永遠の命の喜びに与ることができることを信じます。

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