top of page
検索

2023年6月11日 キリストの聖体の主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2023年6月10日
  • 読了時間: 5分

ヨハネ06:51-58


「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる。」イエス様が言われる「このパンを食べる」には2つの意味が込められていると思います。その一つは文字通りイエス様の体としての御聖体を拝領すること。もう一つはイエス様の心を自分が実際に生きることです。


かつてマザーテレサは、自分は1日に2度イエス様の体を拝領すると言われたことがあります。マザーテレサは1日の始まりに行われる朝のミサをとても大切にしておられました。そして特にそのミサの中での聖体拝領をとても大事にしておられました。マザーテレサはイエス様の体である御聖体に対して特別な思いを持っておられたと思います。イエス様の体である御聖体を拝領することでイエス様と一つになる。それがどれほど大きな恵みであるかマザーテレサは知っておられました。イエス様との一致なしに自分はイエス様の心を生きることはできないと深く心に刻んでおられたと思います。同時にマザーテレサは、その1日をイエス様の心で生きることも大切にしておられました。御聖体を拝領することでイエス様と一致すること、そしてイエス様と一つになった自分がイエス様の心を具体的な生活の場で生きていくことでもう一度イエス様の体をいただくこと。人々に仕え愛を表していくことがもう一つのイエス様の体をいただくことになるのだということです。マザーテレサは、この1日2度イエス様の体をいただく生き方を生涯続けられました。


「わたしは、天から降って来た生きたパンである。このパンを食べるならば、その人は永遠に生きる」。そう言われたイエス様の思いをあらためて思い起こしたいです。神様が定められた本当に不思議なこと。イエス様はご自分の死が迫るぎりぎりの中で弟子たちと最後の晩餐をなさいました。そしてその席で、食卓にあったパンとぶどう酒に向かって、「これはわたしの体である。これはわたしの血である」と言われました。ふつうでは考えられない、パンとぶどう酒がイエス様の体と血になるということ。でもイエス様ははっきりとそうおっしゃり、「これをわたしの記念として行いなさい」と言われたのです。そして教会はそのことを忠実に2千年という時間を経ても変えることなく今も続けています。


イエス様はどのような思いで、この御聖体の制定をなさったのでしょうか。イエス様もきっと、許されるならもっと弟子たちと共に過ごしたい、まだまだ伝えたいことがたくさんある。でも今はもう時間がない。そのようなぎりぎりの状態の中で、イエス様は食卓の上にあった食べるためのパンとぶどう酒に向かって「これはわたしの体である。これはわたしの血である」と言われたのだと思います。パンとぶどう酒の中に御自分のいのちを注ぐ。そうすることで、これから弟子たちがこの晩餐の祭儀を繰り返す時、彼らに御自分のいのちを与えることができる。そのように思われての御聖体の制定だったと思います。


私たちの肉眼の目では、ただのパンとぶどう酒にしか見えないもの。でもそれを信じる心をもって私たちが受けとめる時、それは真のイエス様の体と血になるということです。そして忘れていけないのは、イエス様が言われる「このパンを食べる」とは、イエス様の心を生きるということであるということです。


「はっきり言っておく。人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」イエス様が人々に話されたたくさんの言葉の中で、この言葉ほど人々を驚かせたものはなかったでしょう。「どうしてこの人は自分の肉を我々に食べさせることができるのか」と当時の人々が互いに激しく議論し始めたのも当然のことだったと思います。それでもイエス様は、ためらうことなくはっきりと「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。私の肉を食べ、私の血を飲む者は、永遠の命を得、私はその人を終わりの日に復活させる。私の肉はまことの食べ物、私の血はまことの飲み物だからである。」とおっしゃいます。このようにイエス様が断言なさるのは、それだけここでイエス様がおっしゃることが、イエス様にとっても私たちにとっても大切な内容だからでしょう。


イエス様の肉を食べ、その血を飲むとは、イエス様の命そのものをいただくということ、イエス様と完全に一致することです。そしてその完全な一致は、イエス様の心と私たちの心が完全に一つになることです。イエス様が自ら差し出される体、命を、心から受ける。そして自分も生き方においてイエス様と一致し、イエス様と同じように生きようと努める。その時私たちの中で真の命が躍動し、生き始めます。それが私たちに絶対必要なことであることを「人の子の肉を食べ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない。」という言葉でイエス様は言われているのだと思います。


天から降ってきてくださった生きたパンを食べる生き方。それは神の力とその働きを信じて、自分も神様の思いに心を合わせて生きる、生活していくということです。マザーテレサが言われるように、ミサの中でキリストと一致すること。そしてそれにとどまらず日常生活の中で愛の行いを通してイエス様の体をいただくこと。この2つの聖体拝領を通して永遠の命をいただくということ。イエス様の教えの究極はここにあります。


 
 
 

最新記事

すべて表示
2025年4月13日 受難の主日

ルカ19:28-40   今日、私たちは聖週間の最初の日、受難の主日を記念しています。受難の主日は、イエス様が天の父のみ旨に従おうとする熱意と、人々のために身を捧げたいという思いから、あえて苦しみが待っているエルサレムに向かって進んでいかれたその出来事を思い起こす日です。そ...

 
 
 
2025年4月6日 四旬節第5主日

ヨハネ8・1-11   出エジプトという出来事は、イスラエルの民にとって自分たちの先祖が体験した苦しいエジプトの地から神の大いなる業によって脱出することができたこと、その体験がイスラエルの人々にとって神様を讃え、賛美する信仰の大きな土台となっているということです。今日の第一...

 
 
 
2025年3月30日 四旬節第4主日

ルカ15:01-3、11-32   このたとえ話の中心は何といっても父の姿です。その姿を見つめ心に刻むだけでもよいのです。弟がしてしまったこと、また兄の態度がどうであるかということに目をやるよりも、ひたすらこの父の姿と心に目を向けたいです。父は何一つとがめませんでした。甘や...

 
 
 

Comments


© 2020 by Totsuka Catholic Church. Proudly created with Wix.com

244-0002 横浜市戸塚区矢部町641

(TEL)045-881-8882

(FAX)045-865-2026

bottom of page