2023年3月26日 四旬節第5主日
- カトリック戸塚教会
- 2023年3月26日
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更新日:2023年4月1日
ヨハネ11:03-45
イエス様は力ある業をなさいます。それは病気のいやしであったり、悪霊の追放であったり。でも、それらすべてはご自分が何者であるかをお示しになられるためでした。そのイエス様がなさった力ある業の中で、ラザロの復活ほど人々を驚かせたものはなかったでしょう。一度いのちを失った者が、もう一度息を吹き返す。人間がどんなに力を尽くしても乗り越えることができない、肉体の死。でも、イエス様はそれを乗り越える力ある業をなさいました。そしてその業は、単に悲しむマルタとマリアという姉妹を慰めるということ以上に、ご自分がすべての人を招きたい死を越えたいのちの世界があることをお示しになるということも意味していたでしょう。救い主の使命、それは人間をこの世の縛られた状態から真のいのちへ移していく使命です。そのために神の子は人となって、私たちの人間の中に入ってきてくださったのです。
天の父は私たちを真のいのちへと招いておられます。そしてその業を行うために神の子であるイエス様をこの世にお遣わしになりました。イエス様は御父の意志に従い人類に真のいのちへの道を示し、御自分につながる必要を説かれました。イエス様の言葉に聞き従いそれを生きること、それを通して縛られた死の状態から真のいのちを生きる救いの状態へと引き上げられること。
イエス様は「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」と言われます。「わたしを信じる者は、死んでも生きる。」という言葉をもって、死を越えるいのちの世界があることを示されます。死ですべてが無になるのではない。死はあくまで通過点で、死を通り越してそこに真のいのちの世界が広がる。私たちの人生の歩みはその死を越えるいのちの世界につながるための歩みであるということです。そしてイエス様はその歩む道を私たちに教えてくださったのです。
イエス様は「わたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」と言われます。私たちが信じるとしたら何を信じるのでしょうか。そして何を信じたらよいのでしょうか。私たちが信じるとしたら、私たちに語りかけてくださっている方が誰であるのか。そしてその方が示してくださる死からいのちへ移るとはどういうことなのか。そして復活があるとはどういうことなのか。私たちはそれを信じるのだと思います。そして、信じてイエス様が示してくださる道を、イエス様の後に従って、イエス様につながって生涯その道を歩むということです。
今日の福音で示されたラザロの復活という出来事は、単に死んだ者がもう一度息を吹き返した驚くべき出来事があったということを示すものではありません。もっと深い、私たちの人生の目的とこの世を歩む意味を示していると言えます。墓に納められ4日もたっていたラザロに対してイエス様は「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれます。死という人間を縛る状態から出て来るようにイエス様は大声で叫ばれます。それは、今を生きている私たちに対してもイエス様からの招きと取ることができます。私たちも、今という時を生きていても、その姿は何かに縛られて窒息しかかっている状態と言えるかもしれません。イエス様の私たちへの叫びと招きは、その状態から思い切って出て来るようにということです。イエス様は続けて、ラザロを覆い包んでいた布を「ほどいてやって、行かせなさい」と言われます。何かに縛られ覆われて、自由に手足が動かせない姿。でもイエス様の私たちへの招きは、そのようなこの世の束縛から解放されて、真のいのちが躍動するような歩みを始めなさいという招きです。
死を越えるいのちを与えることができる方は神様だけです。そしてそのいのちをもたらすために神様はイエス様の十字架の死をもって、人間に死をもたらす人間を縛る悪の力に打ち勝たれたのです。私たちができることは、そのイエス様のいのちを自分の中に保つことです。そのためにイエス様が自分の中にいつもいてくださるように、イエス様としっかりつながっていくことです。そのことを心から求めていくことです。
死で終わることのない永遠のいのちに包まれるために今があるということ。この今を、イエス様とつながり結びつくために使うこと。イエス様の言葉を自分の中に刻んで、生きることを通して、本当のいのちを生きるようにしていくこと。私たちに神様が問いかけてくださっているのは、このことだと思います。
私たちは来週、受難の主日、枝の主日を迎え今年の聖週間が始まります。四旬節を過ごしている私たちが、今というこの時を大切にして、イエス様を自分の中にしっかり保って、死を越えるいのちの喜びに向かって歩み続けることを祈り願いたいです。イエス様といつもつながってイエス様と共に歩み、復活の喜びを共にする力を願いたいです。
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