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2023年10月1日 年間26主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2023年9月30日
  • 読了時間: 4分

マタイ21:28-32


何ヶ月かの留守番をたのまれてある島の教会へ行っておられた神父様から聞いた話ですが、その島の教会には山の上に墓地があって、草がぼうぼうになっているので、神父様は教会の人々に今度の土曜日に草刈りをやるので来れる人は来てくださいと言いました。

皆はいけたら行きますと返事をしてくれました。そして草刈りの当日になって神父様が墓地に行ってみると、来てくれたのはおばあさん一人だけでした。おばあさんは草刈りの知らせがあったとき、行きますとは言っていませんでした。神父様もこのおばあさんは無理かもしれないなとも思っていました。しかし実際来てくれたのは、年老いたおばあさんだけだったということです。でもそのおばあさんは私はずっと畑仕事をしてきて、体は丈夫だから大丈夫ですよと言って、きれいに墓地の草刈りをしてくれました。


これは一つのある島の教会の例ですが、このようなことは結構あるのではないかと思います。教会の他の人々も、草刈りの呼びかけがあった時、いけたら行こうという気持ちはあったでしょう。でも当日他の用事があったり、なんやかんやで結局おばあさん一人だけが呼びかけに応えたということだったのでしょう。このようなことは私たちの生活の中にもよくあることです。大事なことだとわかっていても実行することができないでいること。私たち信仰者も、神様のことを大切に思い、いつも心を神様に向けてくれていたけど、私の思いを実行には移すことはできませんでしたねといつか神様から言われるかもしれない。それはどうしてでしょうか。それはやはり私たちが神様の呼びかけを本気では受け取っていないからだと思います。


イエス様が話された今日の福音の話で、父親から「子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい」と言われた兄弟の兄の方は、最初は「いやです」と答えましたが、後で考え直して出かけました。一方弟は「お父さん、承知しました」と答えましたが、出かけませんでした。弟がなぜ出かけなかったのか、その理由は福音には書かれていません。でもsおれは、父親の呼びかけをまともに受け取らず、本気で父親とともに生きようとはしていなかったからだと言えるのかもしれません。このイエス様の話で問いかけられているのは、本当に神様からの呼びかけを深く受け取ることができるかどうか、そして、自分を変えることができるかどうかだと思います。そしてイエス様のたとえの中で父が願っているのは、息子たちに辛い労働をさせて苦しめることではなく、父のもとで生きる喜びにすべての人を招きたいということだとも言えるように思います。


今日の福音で大事な言葉は、「後で考え直して」という言葉でしょう。兄の方は「後で考え直す」ことができたこと。最初から行いますという返事はできなかったけれど、後で考え直すことができた。そして父の望むことを行うことができた。私たちにもこの兄の態度が求められています。最初からよい返事ができなくても、「後で考え直して」、つまり熟慮して、よく考えて態度を変えていくこと。私たちの人生の歩みも同じです。初めから神様の望まれる通りの生き方ができる人は誰もいないでしょう。それでも、神様は私たちがいつか自分を見つめ直して、神様の呼びかけに応えてくれることをずっと待ち続けておられるでしょう。


そして神様が求めているのは、私たちが自分の力で神様が望まれることを行おうとするのではなく、「信じること」、この私たちが「信じる」ことを通して行うことができるようになることだと思います。私たちが考え直すべきことは、私たちは自分の力だけでは、決して神様の望まれるような生き方はできないということです。イエス様に心を向けて、いつもイエス様に共にいてください、一緒に働いてくださいと毎日イエス様に語りかけて初めて神様の望みを生きることができるようになります。イエス様から離れていては神様の望まれることを生きることはできません。私たちに求められている「信じる」とは、私たちがイエス様を大切にし、イエス様と共にイエス様を意識して日々の生活を過ごしていくなら、イエス様が私たちを通して働いてくださることを信じることです。そのイエス様の力のすばらしさを信じることです。


「信じる」ことによって得られる力を信じましょう。まずは信じることから。そこからすべては始まります。そして言葉だけ応えるのではなく、実際の行動を通して神様の呼びかけに応えていくそのような人生の歩みにしていきたいです。そのことを心から祈りたいと思います。







 
 
 

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