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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2022年9月4日 年間23主日

ルカ14:25-33


私は、戸塚教会に来る前は、東京のイグナチオ教会で働いていました。都会の真ん中にあり、多くの人々が集まる教会でした。その教会でミサを司式していて感じたことは、多くの苦しみを抱えてミサに与っている人が多いということです。ミサを司式しながら、自分の肩にとても重いものを感じることもありました。それだけ多くの苦しみを抱えて、日々の生活を歩んでいる人々がたくさんおられ、ミサを共に捧げることで少しでもその苦しみが軽くなり、力をいただいて帰りたいと思っている人々が多いということだと思います。


イエス様がこの世に来てくださったのは、私たちに歩むべき道を示し、その道を私たちが歩むようにうながすためでした。そしてその道は、今日の福音にあるように「もし、だれかがわたしのもとに来るとしても、父、母、妻、子ども、兄弟、姉妹を、更に自分の命であろうとも、これを憎まないなら、わたしの弟子でありえない。自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、だれであれ、わたしの弟子ではありえない。」というものでした。イエス様についていくために、自分の家族や自分の命であってもそれを憎むとは何を表しているでしょうか。このことでイエス様は何を私たちに伝えようとされているでしょうか。憎むとは文字通りきらいになるとか、大事にしないということではないと思います。自分の家族もそして自分の命も大切にすべきものです。それでも、それを第一にせず、神様を仰ぎ、神様に心を向けて歩む事が大事だということです。


苦しみを抱えて教会に集まる人々の中には、自分の抱える苦しみが無くなること、軽くなることを第一に求めて来ている人も大勢おられるでしょう。ミサを共に捧げることで少しでも苦しみから解放されるならと願って来ている人もたくさんおられると思います。それが私たちの現実であり、ありのままの姿です。そしてそのような私たちが「自分の十字架を背負ってついて来る者でなければ、わたしの弟子ではありえない」というイエス様の言葉をそのまま受け止めることができる人は少ないと思います。それだけ私たちはこの世で苦難に打ちひしがれ、力を失っているからです。でも、父なる神様はただ私たちに十字架を背負うことを求められたのではありませんでした。自分の十字架を背負いきれないでいる弱さを持った私たちを、神様ご自身がご自分の十字架として背負ってくださっているのです。


今日の福音の後半部分は、イエス様が話されたたとえで、共に「まず腰を据えてよく考える」必要を説いておられます。塔を建てる時も、戦いに出向くときも、まず腰を据えてよく考えてみることが大事だと言われます。そして私たちにとってこの「腰を据えてよく考える」とは、自分が今どのような状態にあるのかについて、そして神様が持っておられる本当の姿、そのあたたかさについてだと思います。神様の本当の姿を知ること、そして弱さを抱えた私たちを御自分の十字架として背負ってくださっている神様の思いと心に触れること、そうすることで私たちも自分に負けることなく、自分が背負うべき十字架から逃げないで、天のゴールに心を向けて歩み続けることです。


イエス様は今でも、目に見えないかたちで私たちと共にいてくださいます。そして私たちの背負いきれない十字架を共に背負って歩んでくださっておられます。そのイエス様のことをいつも思って、神様から与えていただいた命の時間を大切にして歩んでいきたいと思います。私たちの人生の意味はここにあります。いつもミサを共に捧げる度ごとに、イエス様を意識し、普段いただいている恵みを思い起こして感謝を捧げること。私はイエス様を大切にします、そのような心で与えられた時間を大事にしていきます、そのような思いをイエス様に捧げることができたらと思います。私たち一人ひとりがもっとイエス様と近くなること。親しくなること。それを通して自分の心に喜びと生きる力を感じることができるようになれたらと願います。一人ひとりイエス様をもっと大切にし、そうすることで喜びをもってこの人生を歩み通すことができますように。







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