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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2022年8月7日 年間19主日

ルカ12:35―40


現代社会の中で生きる人の多くはあまり信仰とか教会というものに関心を持てていない、持ちにくいということがあると思います。それは、社会の価値観の方が魅力があって引かれてしまい、また教会が大切にしていることが、それ程一般の人々に伝わっていないかなとも思います。そのような状態であっても、神様の立場になって考えてみるなら、神様にはゆるがすことがない思いがあって、私たち人間がその神様の思いに心を向けて歩むことをずっと待ち続けておられると感じます。


今日の第一朗読で旧約聖書の知恵の書が読まれました。その中に「彼らはあなたの約束を知ってそれを信じていたので、動揺することなく安心していられた。神に従う人々の救いと、敵どもの滅びをあなたの民は待っていた。」とあります。「彼らはあなたの約束を知ってそれを信じていた」。この「あなたの約束」とは神様のなさった約束で、神様は御自分に聞き従う人々の救いを約束され、神の呼びかけを無視して歩む人々の滅びを表されているということです。これは、神に聞き従って歩む人々が、この世にあって迫害されたり、無視されたり、苦難を味わうことになっても、神様は救いの約束を必ず成し遂げてくださるということです。逆に神に反対して、自分の思いを中心にして歩む人々は自ら滅びに向かうということです。先週の「愚かな金持ち」のたとえも、金持ちは有り余るほど物があれば、自分の人生を思い通りにできると考えていました。でもイエス様は人の命は財産によってどうすることもできないことを示されます。愚かな金持ちの心には神様のための場所も隣人のための場所もありませんでした。そしてそれは滅びへとつながる生き方でした。


私たちも、現代という社会の中にあって、信仰を持って歩むことの意味やその真の価値がわからなくなって、世の人々が持つ考え方と変わらないように歩んでしまっているところがあるように感じます。教会に集まることの意味や、神様を信じて歩むことの大事さやよさを失ってしまっているかもしれません。そのような中で今日私たちが耳にした福音は、目覚めて神様の呼びかけに応えて歩んだ人たちを神様が皆を食事の席につかせ、主人として給仕してくださる姿が描かれています。今日の福音の中心は、神様が私たちのために食事を準備し給仕してくださることにあります。その日には主人である神様が帯を締めて、私たちを食事の席に着かせ、そばに来て給仕してくださる食事が用意されます。私たちはそのような神様の心を知り、それを信じ希望することができます。完全な救いの実現は将来まで忍耐して待たなければならないのかもしれません。でも神様は神様の目に正しく映る生き方を大事にした人々を、決して放ってはおかれません。必ず大きな救いの喜びに招かれます。同時にそのために私たちの方もイエス様がおっしゃるように腰に帯を締め、ともし火をともして主人が婚宴から帰って来て戸をたたくとき、すぐに開けられるように待っていることが呼びかけられます。


現代という時代は私たちにとって深い眠りを誘う時なのかもしれません。イエス様の言葉に聞き従って歩みたいと心では思っていても、心に眠気を感じてイエス様がおっしゃるようには行動することができていない私たちがあります。この「目を覚ましている」とは、いつもイエス様を意識し、イエス様を大切にし、少しでもイエス様の呼びかけに応えようとしている態度のことです。そのような態度を私たちが取ることができるには、やはりイエス様が示しておられる将来約束されている天の食事のすばらしさ、神様が給仕してくださる食事に与ることができることのすばらしさを思うことです。私たちの日常では主人が僕たちのために給仕することは考えられません。しかしイエス様はあえて主人が帯を締めて、僕たちのそばに来て給仕してくれることを言われ、それは主人にとって目を覚まして自分の帰りを待っていてくれた僕の姿が何にも代えられない喜びであることを示されます。主人は目を覚まして待っていてくれる僕の姿を見つけたい思いで帰ってきます。救いとは目を覚まして待っていた僕とそれを見つけるために帰ってきた主人とが出会う喜びのことを指します。主人が自ら給仕してくれる食事は、この世で忠実であった僕たちがあずかる神の国での宴を意味しています。神の国で祝われる特別な食事。喜びに満ちあふれた食事。永遠のいのちに満たされた食事。その食事にあずかることができるために、この世にあって神様の思いに忠実である僕として歩むことが私たち一人ひとりに求められています。


イエス様が今日の福音でおっしゃろうとされた事は、今はまだ見えない、目を覚まして待っているしかない救いの喜び、でもそれは将来必ず現実になるという約束です。信仰とはそれを信じて、忍耐を持って待つ心の態度を言うのだと思います。







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