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2022年6月26日 年間13主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2022年6月25日
  • 読了時間: 4分

ルカ09:51-62 

皆さんはここでお祈りを書くための紙が配られて、その紙に何でも自分が祈りたいことを自由に書いてよいということだったら、何を書かれるでしょうか。何かの問題の解決でしょうか、病気の回復でしょうか、苦しみが少しでも軽くなることでしょうか。もし、そのような祈りの紙を集めて、荘厳に奉納し、それが聞き入れられるように特別な祈りをしたら、多くの人が今日はこのミサに来てよかったと思われるでしょうか。確かにそのような面があるでしょう。私たちはそれぞれ苦しみ、困難にぶつかり、力を必要としています。でも同時に、その自由に捧げる祈りの中に、自分がイエス様をもっと大事にし、イエス様に聞き従って歩んでいけますようにという祈りが1つでもあったらすばらしいと思います。


今日の福音は、イエス様がエルサレムへ向かう決心を固められる場面です。イエス様が向かわれるエルサレムはご自分の十字架の死が待っている場所です。そのエルサレムへ向かう途中、イエス様はサマリア人の村を通られます。イエス様がサマリア人の村へ入ろうとされたのは、神の国はイスラエルの人々だけでなく、すべての人に宣べ伝えられるものだからです。しかしサマリア人はイエス様を受け入れませんでした。そこで弟子たちは、「主よ、お望みなら、天から火を降らせて彼らを焼き滅ぼしましょうか」と言います。イエス様を受け入れない者は皆滅ぼしてしまえばよいという考えです。しかしイエス様は振り返って弟子たちを戒められ、別の村へと向かいます。イエス様はご自分を受け入れない者たちを力でねじ伏せようとはされません。神様が望まれる神の国は力によって打ち立てられるものではないからです。イエス様はご自分に「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります」という人に向かって、「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」と言われます。人の子とはイエス様のことを指します。イエス様は宿を拒絶され、イエス様には安らかに休む場所もないということです。イエス様がそうであれば、従う弟子も同じ覚悟が必要になります。イエス様は別の人にも私に従いなさいと言われます。しかしその人は「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言います。それに対してイエス様は「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。あなたは行って、神の国を言い広めなさい」と言われます。そしてもう一人の別の人は「主よ、あなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいに行かせてください。」と願います。この願いは普通だったら当たり前、当然の願いでしょう。でもイエス様はそれ以上のことを求められます。「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、神の国にふさわしくない」。畑を耕す者は鋤をしっかりと握りしめ、目をまっすぐに地に向け、畑を掘り起こします。そのようにしなければ、まっすぐに畑を掘り起こすことができないからです。同じようにイエス様に聞き従って歩むことも、まっすぐにイエス様に目を向け、歩むことが求められます。ただ自分のお願いを聞いてほしいという動機だけでは歩み通すことはできません。


イエス様がこれから進んで行かれようとしているのは、エルサレムへの道です。そこでは十字架がイエス様を待っています。十字架が示すように、イエス様が歩まれる道は人から理解されず、無視され、見捨てられる道です。そのような道を歩まれ、イエス様は自分を受け入れなかったサマリア人たちや、イエス様の道をまだ十分に理解していない弟子たちのために十字架の上に上られ、自らのいのちを捧げられます。それがイエス様が受け入れられたこの世での歩みの姿だからです。


イエス様の十字架の死は、私たちのためでもありました。イエス様のことをまだ十分に知らない、わかっていない、そしてまだまだイエス様の歩まれる道に自分の身を置ききれていない私たちのためにもイエス様はその苦しみの極みである十字架の死をその身に受けてくださったのです。イエス様が求められることは、イエス様に聞き従って、イエス様に倣ってイエス様の後を歩んでいくことです。そこにはイエス様が味わわれたと同じ困難や苦しみが待っているのかもしれません。人からばかにされたり、見捨てられたりするかもしれません。それでもイエス様が教えてくださった道はそのような道なのです。そしてその道を歩むことでイエス様にしっかりとつながることになるのです。


私たちが白い紙を配られて、そこに自分の祈りを書く時、その祈りの中に、自分がイエス様に聞き従って歩めますように、困難があっても苦しみがあっても、イエス様と共にイエス様が教えてくださった道を歩むことができますように、そのような祈りを書き表すことができたら、イエス様はどれほど喜んでくださるでしょう。そのような祈りを日々祈ることができる人になっていきたいです。






 
 
 

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