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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2022年11月6日 年間32主日

ルカ20:27-38


カトリック教会は11月を死者の月とし、亡くなられた方々のために心を向けて祈るように招いています。私は葬儀の司式をする時、また亡くなられた方々のことを想って祈る時、その祈りは必ず届けられていると感じます。また、「祈ってくれてありがとう」という声が聞こえてくる感じもします。互いのことを思い合う愛の心は死で離ればなれにはなりません。愛の心は永遠です。


私は人が息を引き取る時に「ありがとう」と言って自分の生涯を終えることができるなら本当にすばらしいと感じます。そしてできるなら自分もそうありたいと思います。私たちの死の現実というものは、多くの人が病室のベッドの上で苦しい息をしながら、最後の力をふりしぼって亡くなっていくということかもしれません。また、そのような中で「ありがとう」などの美しい言葉、感謝の言葉を発して息を引き取ることができる人がいたとしても、それはとても恵まれた人ということかもしれません。それでもやはり気持ちとして、心のあり方として、自分の生きる最後を感謝の言葉をもって締めくくりたい。また最後の最後の時でなくても、死が近く意識されたとき、まだ意識がある時、言葉が発せられる時に「ありがとう」と言いたい。その気持ちを大事にしたいということです。このような思いはとても大事なことです。そして普段からそのような思いで生活していないと、なかなかその時そう言えないのではないかとも思います。


今日の福音の中で、人が亡くなった後、どのようになるのかということが述べられています。「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。この人たちは、もはや死ぬことがない。天使に等しい者であり、復活にあずかる者として、神の子だからである。」「この世の子らはめとったり嫁いだりするが、次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々は、めとることも嫁ぐこともない。」これは、この世と次の世とは、そのあり方が違うことを示しています。この世のことがそのまま次の世で継続されるということではありません。次の世とは、神様が愛を完成される世界、神様の思いが全てにおいて行き渡っている世界のことです。


イエス様の言葉を丁寧に見ていくと「次の世に入って死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々」とあります。私たちにとって大事なことは、この「死者の中から復活するのにふさわしいとされた人々」に自分もなっていくということです。そしてこれこそが私たちの人生の究極の目的でもあります。その死者の中から復活するのにふさわしいとされるための大事な鍵はやはりイエス様が何度も強調され、ご自分の生きる姿で示された自分を与え尽くす愛の生き方であると言えるでしょう。最初にふれた「ありがとう」という言葉をもってこの世を締めくくり旅立つことができた人たち。その人たちはやはり生きている間からそのような思いを大切にして生きてこられたということです。いつも感謝の心を忘れず、自分を与える生き方を大事にして歩まれた方々。私たちもその意味で、今の自分のあり方を見つめ直したいです。


亡くなられた方々が私たちに伝えたい一番の思いは、「今を大事に大切に生きてください」ということだと思います。私たちが神様に心を向け、神様が望まれることを生きるように努めていくことです。イエス様が教えてくださったことの中で究極のことは、私たちが死を越えた永遠の命にあずかる希望が与えられているということです。そしてこの希望こそがこの世を生きる力になります。愛を生きるために自分を捧げていくこと。その生き方を続けていくこと。そして私たちもイエス様と同じように復活にあずかること。私たちが復活にあずかるための準備は今生きているこの場から始まっています。イエス様自身、苦しみをご自分の身に負いながら歩まれました。そして苦しみですべてが終わるのではなく、そこから新しいいのちが開かれていくこと、自分が捧げたものが決して無駄にはならず、必ず実を結ぶことを身をもって示してくださいました。イエス様はいつでも弱さに力を失い倒れてしまう私たちのことを思い、支え、真の生き方、愛を大事にする生き方へ導こうとしてくださっています。


私たちはどんなにがんばっても、自分の力だけで完全なかたちで愛の生き方を生きることはできないでしょう。自分の弱さ、小ささを認め、神様の前に素直な心でへりくだり、祈りの中で力を願いながら、自分を与える生き方を積み重ねていくこと。そのことに心を向け、専念していくこと。これが大事です。どうか私たちが、今自分が向き合っている現実から目をそらさず、しっかり向き合いながら、イエス様を通して示される復活にあずかる道を、一歩一歩大事に歩んでいくことができますように祈りたいです。


私たちが、今というこの時が二度と繰り返されることがないということを心にとめながら、神様が招いてくださる復活、永遠の命に与る希望を持ち続けたいと思います。この私たちの歩みをイエス様も目に見えないかたちでいつも共にいて支えてくださっておられます。それを信じて、それを力にしてこれからの日々を一日一日大切に歩んでいくことを心に留めましょう。









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