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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2022年11月27日 待降節第一主日

マタイ24:37-44


教会の典礼は、待降節から新しい1年が始まります。そして教会が教会にとっての1年の最初の主日に選んだ聖書のイエス様の言葉は「目を覚ましていなさい」という言葉です。この「目を覚ましていなさい」とは言葉を言い変えるなら、意識していなさいということです。そして大事なことは、やはり何を意識しているかということです。待降節に入った最初の主日の聖書朗読は、いわゆる救い主の誕生についてはふれていません。それより、「人の子」、すなわちイエス様が再び来られる日、この世の完成の時を待つことが語られています。イエス様は私たちに、終わりの日が必ず来ることを断言され、それがいつであるかわからないから、「目を覚ましていなさい」と言われます。そして、用意している者、常に目覚めている者と、そうでない者とが決定的に分けられると言われます。


旧約聖書に出てくるノアの時代の人々は、毎日をごく当たり前のように送っていました。彼らは神様の呼びかけに対して無関心で、心に留めようとしませんでした。私たちも、毎日の生活に流されてしまって神様の呼びかけに気づきそこなっているかもしれません。また、今日の福音に出てくるそれぞれ二人の男女は、人間の眼には何の違いも認められず同じに見えるかもしれません。しかし神様は、一人ひとりの人間のあり方を的確に見極められます。目覚めて、意識して生きるとは、神様の私たちへの思い、望みが何であるかをしっかり心にとめて生活することです。そして同時に、神様の真の姿、真のよさをしっかり自分の中に焼き付けておくことです。


これからクリスマスが近づいてくる中で、私たちがやはり心に焼き付けておきたいことは、救い主であるイエス様の誕生がどのように私たちにとって恵みであるのかということです。そしてそのことは、人が本当に安らぎや慰めを感じるのはどんな時か思い出してみるとよくわかるかもしれません。人が本当に安らぎや慰めを感じるのは、自分が痛みや苦しみの真っただ中にあるとき、誰かが自分の側にいてくれることです。神の子であるイエス様が私たち人間と同じ姿となって生まれてくださったのは、私たちが抱える問題を解決してくださるためというよりは、私たちと一緒にいて共に苦しんでくださるためだと言えます。神の独り子が私たちと同じ人間となってくださった、私たちと苦しみを分かち合ってくださった、それが福音だということです。聖書にインマヌエルという言葉があります。それは神様が私たちと共にいてくださるという意味です。(マタイ1:22-23)神様の愛は、私たちの苦しみを取り除くことではなく、私たちとその苦しみを共にしてくださることにあります。神様が私たちと共に歩んでくださる、一緒に労苦を共にしてくださる、そして共に喜んでくださる。神様はそのような方です。そのことを私たちが本当に知ることができるなら、私たちは本当の意味で自分の中に神様を持つことができたと言えます。自分の中に神様を持つ生き方をすること。自分の中に神様を保って、神様につながって生きること。それが目覚めて用意している生き方になります。「目を覚ましていなさい。」「あなたがたも用意していなさい。」イエス様が語られるこれらの言葉を大事に受けとめて歩みたいです。


そして第一朗読のイザヤの預言で語られた言葉、「彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。」(イザヤ2:4)この言葉も大事にしたいです。イザヤが告げるように、剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。武器を打ち直して農具に変えていく。この世で戦車がすべて畑を耕すトラクターに変えられ、戦闘機やミサイルが、平和な暮らしを打ち立てる道具に置き換えられていくようにしていく。私たちも私たちが持っている意識を変え、もはや戦うことを学ばない、そのような生き方を目指したいです。今、世界は以前見られなかったほど破滅に向かって突き進んでいるように思います。神様が望まれる戦いのない世界を実現することも目覚めて生きる大事な歩みです。そのことを心に留めてこの待降節の日々を大事に過ごしていきたいです。





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