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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2022年11月13日 年間33主日

ルカ21:05-19


現代という時代でも、今日の福音に述べられるような戦争、暴動、地震、飢饉、疫病など近年世界で現実に起こっている具体的な出来事や災害を直接世の終わりと結びつけて解釈する人たちがいます。しかし私たち人間が世の終わりについて予告したり、明確な形で述べることはできません。またイエス様がおっしゃっていることも決して世の終わりの恐ろしさを強調するものではありません。私たちが今をどう生きたらよいか、その示唆を与えておられるのです。私たちには救いという希望が神様から与えられています。その希望に向かって歩むためにイエス様は信頼と忍耐の必要を訴えておられます。


イエス様がこの世におられた間に一応の完成を見たエルサレム神殿は人々が見とれるほどに立派になりました。しかしそれが完全に崩れ去る日が来るだろうとイエス様は予告されます。そして神殿が崩されることが現実となっても、決して壊れることのない確かな事実を述べられます。「髪の毛一本も決してなくならない」。これは神様の確かな配慮と守りを表す表現です。それは危害がなくなるというよりも、どんなに危害を加えられても本当に大切なものを奪われることはない、という意味です。


聖書の世の終わりについての教えは、目に見えるすべてのものはいつか必ず過ぎ去り、滅びゆくものであることに気づかせることです。そして何が本当に大切なものであるかに目を向けさせます。世の終わりの日とは、神様の力によって、この世界があらゆる悪の力から完全に解放されて、新しい天と地が実現する時です。その完成の日に向かって、いつも信頼の心を忘れずに生きるようにイエス様は命じられます。そして神様に最後まで従う者は、どんなに迫害や苦難を味わっても、恐れる必要はないとイエス様は言われます。


パウロのテサロニケの教会への手紙(2テサロニケ3:7-12)は、その終わりの日に向かって生きる私たちに一つの有益な示唆を与えます。パウロが命じたのは次のようなことです。それぞれが置かれた場で、自分の務めを誠実に果たすように。怠惰な生活をしてはならない。自分で得たパンを食べるように。落ち着いて仕事をしなさい。これらは当たり前のことですが、与えられた一日一日を忠実に生きていくことが、終わりの日にふさわしく神様のみ前に立つための準備になるということです。


アシジの聖フランシスコについて次のような有名なエピソードがあります。ある日、フランシスコは仲間の修道士と一緒に庭で働いていました。仲間の修道士がアシジのフランシスコに「兄弟フランシスコ、もし今晩、世の終わりが来ると知ったら、あなたは何をしますか?」と尋ねました。そしてアシジのフランシスコが答えたのは、「もし今晩、世の終わりが来るとしても、今やっているこの仕事を続けます。」というものでした。今晩、世の終わりが来るとしても、今やっていることを忠実に行うこと。それが大事なんだということです。


私たちの人生の歩みは、今という時間の中に置かれています。そしてそれをどう生きていくかが問われています。イエス様は言われます。「あなたがたは、忍耐によって命をかち取りなさい」。私たちにとって十字架は遠ざけてほしいことかもしれません。しかしイエス様は、人間の最高の価値は十字架のない状況に包まれることにあるのではなく、ありのままの現実の中で、苦悩しながらも、神様への信頼のうちに生き続けることにあると言われます。


イエス様は、大きな苦難は必ずあるのだと予告しておられます。でもそれはイエス様と同じ道を歩んでいるということの証しになります。イエス様のことを思わず、この世と妥協して生きるなら、この世から迫害されたり憎まれたりすることはないでしょう。しかし、イエス様もそうであったように神様に従って真剣に生きようとすれば、必ず苦しみや苦難が生じてきます。ここに苦しみの神秘というものがあります。しかし私たちにとって福音は、苦しみが必ず喜びに変わるという真理です。


イエス様が言われた「忍耐」という言葉は「とどまる」ということです。それは神様のもとに、そして自分が今置かれている場にとどまり続け、そこで神様の心を生きることです。今年も来週の王であるキリストの祭日で教会の暦の一年を締めくくります。今そのような時を過ごしている私たちが、イエス様の呼びかけを大事に受けとめ、今という時を無駄にしないで過ごすことができる恵みと力を祈りたいです。

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