イエス様は復活された後、ずっと弟子たちのもとにとどまることをなさいませんでした。主の昇天といって、イエス様にとって一番大切な方、天の父のもとへお帰りになりました。それはイエス様にとっても、また残される弟子たちにとってもそれが一番よいと父である神様がお考えになったからです。
イエス様はご自分のこの世での使命を果たされて、天の父のもとへお戻りになります。そしてこれからは残された弟子たちが、イエス様のなさっていた働きを引き継ぐことになります。どうしてイエス様はそのようになさったのでしょうか。イエス様がこの世に残り続けられれば、もっと大きな業をなさることができたかもしれません。きっともっとたくさんのお話を大勢の人々にされることもできたでしょう。でも、イエス様が働かれ続けられたら、弟子たちはいつまでも弟子のままで終わってしまったでしょう。イエス様が全部してくださる。イエス様にまかせておけばいいんだ。自分達は何もしなくてもいいんだ、ただいっしょについていくだけでいいんだ。そのような思いをもっていたかもしれません。でも神様のお考えは、これからは弟子たちがイエス様の働きを引き継ぐことをお決めになります。そして弟子たちもイエス様と同じように働くことを通して、自分達も救いを体験することを望まれたということです。救いとは、私たちがじっと待っていることではありません。神様が考えておられる私たちの救いは、私たちがイエス様に従って動き、働くことを通して、一人ひとりが実感していくもの、感じ取っていくものだということです。
弱い人間である弟子たちが、この使命を生きることができるように「聖霊」という神様の力が与えられます。大切なことはいかに私たちがその聖霊の働きに気づき、それを感じ取っていくことです。自分の中に聖霊が働きかけてくださっていることを実際に体験していくことです。困難や損に思える生き方の中で喜びを見出していくような体験、そのような体験の中に聖霊の導きを見出すことができます。損が損ではなかった、やはりこれでよかったのだと心から思える出来事の中に、人を真のいのちに導く聖霊の働きがあります。
聖霊の姿や働きは、私たちが直接自分の目で確かめることはできません。でもその聖霊の働きを私たちが日々の生活の中で感じ取っていくためにやはり聖霊に向かって「聖霊来てください、この私の心をあなたの霊で一杯にしてください」と祈り願っていくことだと思います。そして自分としても、自分の心の中が聖霊で満たされた状態で日々の生活を送ることを意識していくことです。自分の心が聖霊で満たされた状態であれば、今、どのような行動や判断をしていったらよいだろうか。聖霊は何を自分に望んでくださっているだろうか。そのように聖霊とつながっていることを意識して、何かを決めなければいけない時は、聖霊の恵みを願って決めていくということです。そのような姿を大事にして日々の生活を送っていくなら、やはり何かが変わってくると思います。あんなに変えられなかった生活のあり方をよりよいかたちに変えることができたり、どのように判断していったらよいか迷っていた時に、よい選びをすることができたり。そのようなことは実際に起こるのだと思います。
今の時代、イエス様に姿を現してください、この目でお姿を見ることができるようにしてくださいとどんなに願っても、イエス様はそうされないと思います。イエス様は、今という時は、聖霊の中にご自分も共にいて、聖霊の働きを通してご自分も働くということをなさるのだと思います。私たちが歩む上で、どのように歩んだらよいか迷った時、聖霊の注ぎを願い、聖霊の働きに合わせて物事を判断していくことができるように願うことです。
イエス様は昇天され、天の父の右の座に着いておられます。そして御父と共に聖霊の働きの中に共にいて働いてくださっています。私たちが日々の生活を通してその神様の働きにもっと敏感になり、神様の思いに応えていきたいです。
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