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2020年9月20日 年間第25主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2020年11月1日
  • 読了時間: 4分

マタイ20:01-16 ミサ説教

私たちが生きるこの社会には様々な仕事があります。家族がある人にとっては、自分の働きの報酬で家族が生きるために必要な糧を養います。順調に仕事があり、家族が生活するのに十分な報酬を受けている人は幸せです。しかし仕事がうまくいかなくなったり、仕事を失ったりすれば大きな苦しみが襲うことになります。日本は世界全体に比べれば豊かで恵まれていると言われます。でもこの日本でも十分な仕事がなく、困難な状態の中を生きている人もたくさんおられます。そのような社会の姿を思いながら、今日のイエス様のたとえ話に心を向けたいと思います。

たとえに出てくる夜明けに主人から1日1デナリオンの約束で雇われた労働者は幸いだったでしょう。当時のお金で1日1デナリオンは十分な賃金でした。きっと雇われた人たちは1日1デナリオンもらえるのなら十分だとの思いでぶどう園に行ったのだと思います。しかし、彼らは夕方1時間しか働くことができなかった人たちが1デナリオンもらったことを見て、自分たちは夜明けから働いたのだからもっと多くもらえるだろうと期待します。しかし自分たちも1デナリオンだったので、そのことで不平を言います。

このたとえ話のポイントは、朝から働いた人たちが、夕方1時間しか働くことができなかった人たちも1デナリオンもらえたことを喜んであげることができたらよかったということです。

私たちを雇ってくださったぶどう園の主人は、本当に寛大ですばらしい方だと皆で一緒に思うことができたら本当によかった。しかし、その思いより自分たちがもっともらえなければ納得できないという思いがまさってしまいました。イエス様がこのたとえ話で伝えられたいのは、ぶどう園の主人に表されている天の父である神様の心と、その心を一緒に喜ぶ心なのです。

第一朗読のイザヤの預言の言葉の中にも「わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道と異なると主は言われる」とあります。「天が地を高く超えているようにわたしの道はあなたたちの道を、わたしの思いはあなたたちの思いを高く超えている」。イエス様が示してくださる天の父である神様の思いは、人間の私たちの思いをはるかに超えて大きくいつくしみに満ちてあわれみ深いということです。そしてそのことを皆が感じて、いっしょに感謝し喜ぶことなのだということです。

朝から働くことができた人が、自分たちは朝から働くことができる恵みをいただいて、そして1日働いた者が受けるに十分な賃金もいただくことができた。まずそのことに感謝すること。そしていろんな事情で働くことができなかった人の苦しみを理解される天の父の心、その人たちにも十分に報いてあげようとされる父なる神様のなさり方を賛美すべきだということです。

私たちはこの場面を自分に置き換えてみた時、どちらの態度を取るでしょうか。朝から働いた人と夕方から働いた人が同じ賃金では割に合わないという思いから抜け出せないで、神様に賛美を捧げることができないという立場でしょうか。それとも自分が夕方から雇ってもらえて、1時間しか働くことができなかったのに、人が1日生きるために必要な賃金を払ってくださる天の父の寛大であわれみ深いなさり方に心から感謝を捧げる立場でしょうか。

かつてマザーテレサは「この世で一番の不幸は、病気や貧しさ以上に自分が必要とされていないと感じることだ」と言われたことがあります。自分を活かす場がなく、誰からも必要とされていないと感じること。私たちの人生には様々なつらいことがあります。病気も、貧しさも共につらいことです。また家族の中の問題や私たちを取り巻く様々な困難もつらいものです。しかしそれでも、そのつらさ以上に自分が必要とされていないと感じることがもっとつらいということです。

神様はそんな人間のつらさを放っておかれることができない方です。誰も雇ってくれる人のいない人の苦しみに無関心ではおられない方です。イエス様はこのたとえ話でそのことを表そうとされたんだと思います。人によって働きや働き方は違うと思います。できる仕事も人によって様々でしょう。でも人がどれだけ働くことができるかを超えて、神様はもっと大きな心で豊かな恵みを一人ひとりに与えたいと思ってくださっているのではないでしょうか。そのことに私たちが目を向けていくということだと思います。

当たり前のように行っていることが当たり前ではないということ。今日、生きる時間が与えられていることも当たり前ではないこと。イエス様のたとえ話の中心はいつもご自分の父である天のお父さんの姿でした。その天の父である神様の姿と心を思って、一人ひとりが自分のあり方を振り返ることをイエス様は望まれました。人間が用いる計りや常識が全てではないのかもしれません。もっと大きな計りと常識が父である神様の心なんだと思います。私たちがいつもその天の父に心を向けるように。そして天の父の存在のありがたさをもっと感じ取って歩むように。イエス様はそのために今も働き続けてくださっているのだと思います。

 
 
 

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