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2020年8月23日 年間第21主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2020年11月1日
  • 読了時間: 4分

マタイ16:13-20 ミサ説教

最近よく思うことがあります。それは神の独り子であるイエス様の存在を現代に生きている私たちがどのように感じ取っていったらよいかということです。ある人にとっては、イエス様の存在は2千年前のことであり、イエス様の存在を信じてはいても、現代という時代で直接イエス様の存在を感じ取ることはできないと感じる人は多いと思います。教会に来ても、ミサに参加しても、そのことが直接イエス様とふれあうことにつながっていかない状態。イエス様の存在をどこかとてつもなく遠い存在と思えてしまう。そのように感じている人は結構多いのではないでしょうか。

世の中には本当の救いを求めている人は多いです。でもそれが直接に神様、そして神の子であり私たちの真の救い主であるイエス様にふれていくことができない人が多いということも事実です。

この現実を見つめながら、今日の福音の中のイエス様の言葉、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。」(マタイ16・15)という問いに、私たちはどう答えたらよいでしょうか。ただ口で「あなたはメシア、生ける神の子です。」と告白するだけで終わらない、何か心の奥深い所からわきあがってくる信仰の告白ができないでしょうか。自分としてイエス様のことをどのように受け止めていくか、それはペトロや他の弟子たちだけでなく私たち一人ひとりにも問いかけられています。ただ漠然と信じ、生きるのではなく、しっかりとイエス様に触れて、イエス様が今も私たちの中に、私たちのすぐそばにいてくださる方として受け止めながら生きていきたいです。

私は一つ大切にしていることがあります。それは1日のうちでほんの少しの時間でもよいから、透明な心で神様に心を向けるということです。頭を使わず、ただ透明な心、澄んだ心になることを意識して、その心で神様に心を向けます。目を閉じて、ただ神様だけを思う。そうするなら、なにか心が神様に触れることができるように感じます。そして自分がすべきこと、なすべきことがわかってくるような気がします。人から言われたからではなく、神様と透明な心で向き合うことができたから見つけることができることがあります。

イエス様からの「あなたはわたしを何者だと思っていますか。」という呼びかけに、人から教えられたからでなく、人がどう言おうと何と思おうと、自分の心から叫びとしてあなたは私にとって生ける神の子キリストです。他のどんな存在とも比べることができないまことの神、そして私たちを真の救いへの道へ導いてくださる方ですと、心から叫びたいです。父である神様を、そしてその独り子であるイエス様をどこか遠い存在として崇める対象としてではなく、もっと身近に生活体験の中で触れていく、感じていくことが大事です。

自分の生活の中で体験していることを透明な心で振り返ってみることは、神様の存在を身近に感じ取っていくために助けになります。当り前のように過ごし流してしまっている1日の何気ない出来事を信仰の目で振り返ってみること。大きな出来事だけでなく、より小さな出来事を大切にして振り返ってみることです。

4月に戸塚教会に来てから体験したこと、感じたことの分かち合い

神様は現代という時代でも決して遠い存在ではありません。美しい朝顔の花の色一つを眺めるだけでも、その背後に神様を感じ取っていくことができます。私たち人間が、神様と親しいつながりを取り戻すことが大事だと思います。エス様とふだんの日常生活の中でもっとつながり、イエス様の姿と心に目を向け、自分もイエス様と同じ心で生きる。それによって人は神の永遠のいのちにあずかる者になります。

ペトロがイエス様に対して行った信仰告白の言葉「あなたは生ける神の子キリストです。」は私たちがミサの聖体拝領の前に、唱える言葉の土台になりました。イエス様に対し「あなたは私たちにとって生ける神の子キリストです」と告白することができる者。そして、神様の呼びかけに耳を傾けそれに従う者は、ペトロと同じように幸いだと祝福されます。私たちも普段の生活の中で、もっと神様と親しくなれますように祈りたいです。

 
 
 

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