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2020年7月26日 年間第17主日

  • 執筆者の写真:  カトリック戸塚教会
    カトリック戸塚教会
  • 2020年11月1日
  • 読了時間: 5分

マタイ13:44-52 ミサ説教

私は朝起きて、洗面、身支度を済ませて、必ずロザリオの祈りを一環捧げています。それから聖堂へ行って、十字架のイエス様のご像の前まで行ってイエス様にお早うございますのあいさつをし、今日1日の御保護と聖霊の注ぎを願って聖霊と共によい判断をしながら今日1日を過ごすことができるように祈りの時を持っています。そうすることで今日1日を神様に心を向けて過ごすことができることを願っています。

今日の第一朗読に登場するソロモンは、父ダビデ王の後を継いで、イスラエルの王となった人です。王として働く前にソロモンは夢の中にあらわれた主にただ一つのことを願い求めました。それは、人々を正しく導くことができる真の知恵でした。そしてその願いは、神様の心に適いました。主はソロモンに言われます。「あなたは自分のために長寿を求めず、富を求めず、また敵の命を求めることなく、訴えを正しく聞き分ける知恵を求めた。見よ、わたしはあなたの言葉に従って、今あなたに知恵に満ちた賢明な心を与える」。私たちも人生を生きる中で様々な願いを持っています。でも私たちが願わなければならないものがあるとしたら、それはこのソロモンが求め願った神の知恵かもしれません。この世を生きる上で正しい判断ができる知恵、真の知恵。この神の知恵をまず求めていくこと。私たちが神様の目に喜びとなる生き方ができるために、その知恵をまず願うべきでしょう。

今日、私たちが聞いたイエス様の福音は、天の国は、人に「喜び」を与え、持ち物をすべて売り払ってでも獲得したいと思わせるほどに「貴重な」ものであるというものでした。その天の国が、畑に隠された宝と、良い真珠を探している商人が見つけた高価な真珠にたとえられます。そしてこの二つのたとえに共通しているのは、共に持っているものをすっかり売り払って手に入れたということです。このたとえを通して、イエス様は天の国は持ち物をすべて売り払ってでも手に入れたいと人が願うほどに「貴重な」ものであり、人に「喜び」をもたらすのだと言われます。

それでは、このイエス様が示される「天の国」とは何を意味しているのでしょうか。それは、イエス様が示される神の国とそこにつながる生き方のことだと思います。でも私たちはそれが畑に隠された宝や高価な真珠にたとえられるほどに貴重ですばらしいものであることをまだ十分に理解できないままでいるのかもしれません。真の救い、いやされること、愛されること、自分が活かされることに渇いているにもかかわらず、その渇きを真に満たしうるおすものを見出しきれていない、それが私たちかもしれません。

神様はこの世を心から愛されたにもかかわらず、現実では人々は孤独に苦しんでいること。誰も自分のことに心をとめてくれないと苦しんでいる人々が多く存在すること。わたしはすでに世に勝っているとイエス様がはっきりと宣言されたにもかかわらず、病や死を前にして、不安と絶望に動揺し続ける人々が存在します。神様がもっておられる私たちへの思いと私たち自身が感じている思いがなかなかふれあいきれていない、一致できていないというのが私たちの現実の姿です。神の子であるイエス様が持っておられる宝、それこそが本当の宝なんだと思います。そしてそれを見つけた人は、自分の持ち物を売り払ってでも手に入れようと努力する、それくらいすばらしい価値あるものであること。

イエス様は、私たち人間が持っている真実に対する飢えや渇きに対して応えることがおできになる宝を持っておられます。そして「天の国」とは、そのイエス様の宝がこの世のすべてに行きわたっている状態です。苦しんでいる人々が喜びで満たされ、価値なき者として隅に追いやられている無数の声なき人々が大切にされる。そして神様が私たちと共にいて、今も働き続けてくださっていることが肌で感じられ、自然に感謝の思いで満たされる。そのような本当の喜びの状態にあこがれたいです。それこそイエス様が言われる「天の国」です。

よく私たちは「天国」という言い方をします。そして「天国」とは、やはり亡くなった人たちが神様のもとで迎えられる場所として理解しています。私はその理解は決してまちがっていないと思います。でも、今日の福音でイエス様が言われているのは、「天の国」のことです。「天国」は人が亡くなってから行くところ。でも、「天の国」は、今、生きている私たちも味わうことができるものです。そしてこの「天の国」は、今も私たちの中で働き続けておられる神様の働きを表します。

イエス様の言葉の中で、「天の国のことを学んだ学者」という表現が出てきますが、「天の国のことを学んだ学者」とは、いわゆる学問に通じた人のことではなく、私たちの身近にあるあらゆる出来事の中に神様の働きを見ることができるようになった人のことです。本当の学者とは、神様の存在を感じ、その働きに心を向けることのできる人です。ソロモン王が願った本当の知恵、神様が人間に求められる本当の知恵とは、この日々の出来事の中に神様の働きを見ることができる知恵です。

私たちも、自分の周りの出来事にもう一度心を向け、その中で働いてくださっている神様の心を感じ取れるようになりたいと思います。神様の心に触れて、物事を正しく判断できる知恵、本当の宝物を私たちが見出して、私たちがすべてを投げうっても惜しくないと思うほどに、それを見つけた喜びに包まれたいと願います。神様はそれを与えることができる唯一の方です。

 
 
 

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