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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2020年6月21日 年間第12主日

マタイ10:26-33 ミサ説教

私たち人間は、人に対して厳しいこと、難しく思われることを伝えることは簡単ではないと感じます。人が喜ぶことだけを話すだけでよかったら、とてもよいと思います。しかし現実はそのようなことばかりではありません。旧約時代に活躍した預言者と呼ばれた人たち。預言者は天の父からの言葉を預かり、それを人々に伝えました。そしてその多くの言葉は回心を求めるものでした。今の生活を改め、心を神様に向け直しなさい。神様の思いを生きるように努めなさい。しかし人々は預言者たちの語る言葉に耳を傾けませんでした。傾けないばかりか、迫害しました。今日の第一朗読に登場するエレミヤもそのような預言者の一人でした。エレミヤは言います。「わたしには聞こえています。多くの人の非難が。」「わたしの味方だった者も皆、わたしがつまずくのを待ち構えている。」エレミヤはそのような状況の中で、天の父に向って「万軍の主よ、正義をもって人のはらわたと心を究め、見抜かれる方よ。わたしに見させてください、あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明け、お任せします。」エレミヤはこのように天の父に向って訴えます。同時に求めていたのは、神様の思いが人間の中に行き渡ること、そして自分たちの働きが正しく認められ、預言者としての苦労が報われることだったのです。

今日の福音でイエス様は使徒たちに向かって言われます。「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである。」これは今覆われて見ることができないこと、隠されて知ることができない真実が必ず明らかにされることを意味します。弟子たちもイエス様に従って歩み働く中で預言者と同じように多くの苦しみ、困難を経験しました。それはイエス様がかつて言われた「わたしはあなたがたを遣わす。それは羊を狼の中へ送り入れるようなものだ」という体験でした。イエス様に聞き従い働くことで、全てうまくいき、人々から賞賛されるということだったらどんなにありがたかったでしょうか。しかし実際に弟子たちは大きな苦しみ、迫害を経験していきます。そのような中でイエス様は弟子たちを力づけ、励ますために今日の言葉を話されたのです。真実が明らかにされる時が必ず来る。イエス様が話されたこと、示されたことが正しかったことが証明される時が必ず来る。それは確実である。だから今、様々な困難や迫害を受けたとしても「恐れることはない」。それがイエス様からのメッセージです。そして恐れずにイエス様から聞いたことを明るみで、屋根の上で言い広めなさいということです。

人間には体だけでなく魂も存在します。それは私たちの命はこの世で終わらず、この世の命を終えた後も魂は生き続けることを示します。この世で体が滅ぼされたとしても魂が生き続けます。神様だけがその魂を滅ぼすことがおできになります。その神様が、私たちの保護を約束してくださっています。それが「あなたがたの髪の毛までも一本残らず数えられている。あなたがたはたくさんの雀よりもはるかにまさっている。」という言葉で言い表されています。

私たちは人を恐れることなく、人々の前で自分がイエス様を信じていること、イエス様の仲間であることを言い表すことが大事です。そうすることでイエス様は天の父の前で私たちをご自分の仲間であると言い表してくださいます。天の父の前でイエス様から仲間であると言い表していただくことが、私たちにとって救いになります。

私は以前、司祭に叙階された直後、広島の祇園教会というところで働いていました。そしてその教会に、一人のおばあさんが聖書の勉強会に参加されていました。町の中心から離れた郊外に住んでおられて、教会まではバスで通っておられました。でもバスは、朝はたくさん本数があっても、朝9時を過ぎると本数が急に少なくなり、10時半からの聖書の勉強会に参加するのにちょうどよい時間のバスはありませんでした。それでそのおばあさんは、勉強会が始まる1時間以上前に教会に来て、その時間を聖堂の中で静かにお祈りして時間を過ごしておられました。そして信者ではない知りあいの友達に、自分が教会に通っていること、聖書の勉強会に参加していること、そのために朝早い時間のバスに乗って行っていること、でもそれがまったく苦にならないこと、勉強会が始めるまでの時間、聖堂でお祈りすることでたくさんの恵みと元気をいただいていること、神様を信じて生活することは本当にすばらしいですよと、そのことを隠すことなく友だちにおっしゃるということでした。

自分が信じていること、自分をイエス様の仲間の一人にさせていただいていること、その喜びを自分の周りの人たちに伝えていくことはとても大切なことだと思います。そしてそのために、自分のふだんの生活をもっと神様に向けて、その生活の中に神様が共にいてくださっていることを心で感じ取る恵みを願うことです。イエス様と共に歩むことで、問題が全部無くなるとか、苦しみのない生活を送ることができるということではないかもしれません。それでも問題が無くならなくても、困難に出会っても、イエス様を思って頑張って生きる。そうする時、必ず道が開かれていくということです。

私たちが捧げるミサは、私たちが日常の出来事の中に神様の存在を感じて、それをミサを通して神様に心から賛美と感謝を捧げるためにあります。そしてミサを通してイエス様に触れて、また力をいただいて自分の生活の場に派遣されていくためにミサがあります。私たちが日々の生活を大切にして、その中でもっとイエス様と触れ合って、「恐れることはない」ということを本当に自分のものにできるように祈りましょう。そしてミサに与るとき、神様への賛美と感謝を自然に捧げることができるようになりましょう。「恐れることはない」という力強いイエス様の言葉を日々大事にして生きることができますように。

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