top of page
検索
  • 執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2020年5月10日 復活節第5主日

ヨハネ14:01-12 ミサ説教

今日は5月の2番目の日曜日、母の日です。私たちのすべてのお母さんに感謝を捧げたいと思います。私の母は9年前に亡くなりました。今は神様のもとにいる母に心から感謝を捧げたいです。私は母が亡くなっても、母は今まで以上に自分を支えてくれていると感じています。マリア様と母が一つになって守ってくれている。そのことをいつも思いながら生活しています。母が亡くなった時の葬儀ミサも私が行いましたが、母はそのことをとても喜んでくれたと感じています。

私たちが今日聞いたヨハネ福音14章の箇所は、よく葬儀ミサの時に朗読する箇所です。「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。」イエス様は御自分の父の所には住む所がたくさんあって、私たちのために場所が用意できたら私たちを迎えてくださると約束してくださいます。私たちは死と聞くと、誰もが恐れを抱きます。それは亡くなった後どうなるかがわからないからです。でもイエス様の言葉を信じるなら私たちにとって死はこの世からの旅立ちであり、イエス様が用意してくださる場所に向かって希望を持って旅立つということだと思います。

イエス様は「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われます。心を騒がせる。私たちはどういう時、心を騒がせるのでしょうか。それは、自分の中でいろんなことがうまくいっていない時、心に平安がない時、気にかかる出来事がたくさんある時、そのような時、私たちは心を騒がせます。私たちは普段どんなに心が満たされ、平安に包まれて、喜びを感じて歩むことを願っているでしょうか。でも私たちの現実は、なかなかそうはなりきれていません。その私たちにとってつらく感じることは、自分の居場所がないということです。自分がいる場所がない。それはとてもつらく悲しいことです。人間は誰もが生きていくために、やはり安心していることができる場所が必要です。同時にただいるだけでなく、そこにあたたかい交わりがあることも求められます。人間は孤独ではやはり生きていくことができません。つながりたい。でもなかなか本当の意味でつながることができていない。それが、今私たちが生きる社会の特徴かもしれません。人とつながる。同時に神様ともつながっていく。この両方が求められます。

イエス様は「わたしの父の家には住む所がたくさんある。」とおっしゃってくださっています。この「わたしの父の家には住む所がたくさんある。」と言われるその場所とはどのような場所のことでしょうか。それは、私たちがこの世を旅立って神様のもとに迎えられるときの場所を言っておられるかもしれません。神様が私たちを迎えてくださる場所がある。そのことをイエス様がはっきりとおっしゃってくださっていること。でも同時に、この場所は私たちが亡くなってはじめて行くことができる場所のことだけでなく、私たちが望むなら、いつでもいることができる場所、イエス様がいっしょにいてくださる場所があるということも表していると思います。

イエス様は十字架の死の苦しみをお受けになり、それを通って復活の命に入られました。イエス様が復活されたことは、これからはずっと私たちと共にいてくださるようになられたということも表しています。私たちの目で直接イエス様の姿を見ることができなくても、イエス様はずっと私たちと共にいてくださる方です。私たちにとってイエス様の復活がありがたいのは、イエス様がいつまでも私たちと共にいてくださる姿になられたからです。そして私たちが一番求めているもの、必要としている居場所を用意してくださっているということです。イエス様のお姿を目で見ることができなくても、イエス様に心を向けることで、イエス様と共に居ることができる場所がある。その居場所がある。そこで私たちに求められることはそれを信じることです。イエス様がこの自分と共にいてくださることを信じる。自分は独りではないことを信じる。心を通してイエス様に何でも自分のことを話し伝えていく。イエス様との心の交わりを大切にする。普段の生活の中で、イエス様に心で語りかけていく。それを大切にしていくなら、イエス様は私たちの心に応えてくださると信じます。人間的な思いだけで物事を見回していくなら、周りにはきっとつらいこと、困難に思うことで一杯になってしまうでしょう。でも日々イエス様との親しさ、近さを大事にしていく人は、小さな出来事であってもたくさんの感謝を見つけることができるでしょう。

イエス様は「私は道であり、真理であり、命である。」と言われます。イエス様が天の父につながる道になってくださっていること。その道を私たちが歩んで、イエス様が用意してくださっている天の父の家に入るということ。イエス様はその道を示すために私たちのもとに来てくださいました。そして今でも目に見えない姿でその道を私たちと共に歩んでくださっています。私は今、戸塚教会の中で一人で生活しています。夜とか一人でいると怖さも感じます。それでも朝が来て明るくなると喜びを感じます。自然もたくさんあって、鳥の鳴き声も聞こえて、本当によい環境に来ることができたと感じます。まだまだこれからですが、いろんなすばらしい体験をしていきたいです。

イエス様が復活されて今も私たちと共にいてくださる。私たちに求められていることは、それを信じること。そして自分の日々の歩みを通して、喜びの体験を通してイエス様が示してくださる業に気づいていきたいです。今、教会のミサに与ることができず、さびしい思いをしている方々がたくさんおられます。このような状況だからこそ、今まで以上に互いのことを思い合うことができるようにしていきたいです。イエス様の思い、心に今まで以上に触れることができる手段や方法を大事にしていきたいと思います。このよきメッセージが、少しでも多くの人々の心に届けられますように。

閲覧数:5回0件のコメント

最新記事

すべて表示

2024年5月12日 主の昇天

マルコ16:15-20 最近私は、これは大事なことかなと気づいたことがあります。それは、たとえば自分は信仰熱心だと思っている人がいるとします。ミサにも定期的に与っているし、教会活動にも参加している。でもそのような人が本当の意味で救いを実感していない、心の中に平安を見いだせていない、そのような苦しみを持っておられる方が多いなと感じます。そしてそのような方々の話を聞いていると私はあることに気づきました

2024年5月5日 復活節第6主日

ヨハネ15:09-17 私はイエス様の「これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである」という言葉が心に響きます。イエス様がこれらのことを話してくださったのは、私たちが真の喜びで満たされるためであったのだ。私たちの真の喜びを願ってイエス様は語って下さったのだ。互いに愛し合いなさいという掟も、単なる掟や義務だからではなく、私たちが真の喜びで満たさ

2024年4月28日 復活節第5主日

ヨハネ15:01-8 復活節第5主日(2024年4月28日) 「わたしにつながっていなさい。」これは、私がいつも病人の方に病者の秘跡を授ける時に朗読する福音のイエス様の言葉です。「わたしにつながっていなさい。」「わたしにつながっていなければ、自分では実を結ぶことはできない。」私たちは特に、病気になったり、自分の小ささを自覚するときに、思い出します。イエス様につながっていなければ、私たちは何もできな

bottom of page