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執筆者の写真 カトリック戸塚教会

2020年10月11日 年間第28主日

マタイ22:01-14 ミサ説教

私は司祭として歩み始めた時、一つのことを決意しました。それは何か人から頼まれたら、自分の思いだけで断ることはしないようにしようということでした。私たちは神様の声を直接聞くことはできません。でも、何気ない人からのお願いや呼びかけの中に神様からのお願い、呼びかけが含まれているかもしれません。自分の都合だけで人からの呼びかけを断る時、私たちは知らないうちに神様からの呼びかけ、招きを断ってしまっているかもしれません。

今日の福音でイエス様は一つのたとえを話されます。王が自分の王子の婚宴を催し、招いておいた人々に呼びかけます。その婚宴に招かれていた人たちは、呼ばれたのに来ようとはしませんでした。2度も呼びかけられたのに無視してしまいます。それはなぜでしょう。「一人は畑に、一人は商売に出かけ」とあります。彼らにとって婚宴に出かけていくこと以上に優先することがあったということでしょう。それは自分の仕事であり生活かもしれません。仕事そして生活は人間として大切にしなければならないことです。生活するために一生懸命働くことは必要です。しかしそのこと以上に大切で優先すべきことがあります。それは他者の気持ちを理解すること、喜びの時は共に喜びに出かけていくような相手を思いやる心です。そしてそれは神様の呼びかけ、招きに応えることになります。人々は自分の生活に心が奪われるあまり、神様が招かれる宴の素晴らしさ、ありがたさを見落としてしまったと言えるでしょう。あまりに人間的、この世的な幸せや価値観に心奪われ、そのことに一生懸命になるあまり、神様の招き、呼びかけの計り知れない恵み、富を見落としてしまうということです。神様の呼びかけは一見地味で平凡なことのように見えるかもしれません。しかし、神様が準備してくださる宴はこの世のものとは違う、尽きることのない喜びそのものです。私たちももしかしたら同じように毎日の生活の中に埋もれている神様の声、呼びかけを聞き逃してしまっているかもしれません。

また同時に、呼びかけに応えることができてもどのような心をもって応えたかも問いかけられます。婚宴に参加するのであれば礼服が求められるのと同じです。礼服を着るとは神様の呼びかけにふさわしい心で応えることです。その心とはいつも神様を第一にし、神様に心を向けていく心のことです。

私たちは神様が催される宴にあずかることができるように招かれています。ただ、その神様からの招きのすばらしさ、ありがたさを実感できるか、そしてふさわしい心を身に着けてあずかることができるかは私たち一人ひとりにかかっています。

神様の望み、呼びかけに私たちが気づいていくためにはどうしたらよいでしょうか。一つ言えることは、一度立ち止まって、ゆっくり深呼吸し、今があるということを感謝することから、そして「神様、あなたの望みをお聞かせください」と謙虚に心の耳を傾けることからだと思います。私たちは誰もがいつか必ずこの世を旅立つ時が訪れます。そして神様の元に招かれます。その時、神様がどれほどこの自分を支えていてくださっておられたか、どれほど多くの恵みを与えてくださっておられたか目の当たりにするでしょう。自分が気づかないかたちで神様に守られていたことを知る時、私たち自ずと頭を垂れ、自分の愚かさを悔いると同時にもっと神様のよさに目をとめていたらよかったと思うことでしょう。

神様は私たちを天の国で最高の宴の席に招いてくださる方です。そしてその真の喜びを私たちと共にしたいと心から望んでおられる方です。そのために私たちの方からも、もっと神様のよさ、すばらしさを知ることが必要です。

私たちが神様の真の姿を知るなら、自ずと招きにふさわしくあずかるために神様が求められる礼服を準備することでしょう。神様が求められる礼服は、きらびやかな服のことではありません。決して目立つことがなくても、やさしさとあたたかさいっぱいの心で人を思いやることのできる心をまとうことこそふさわしい礼服を身に付けることになります。

今日、このイエス様の話されたたとえ話を聞いた私たちが、神様からの招きを聞き逃すことなく、自分の毎日の具体的な生活を通して、その呼びかけに応えることができるようにしていきたいです。神様が招いてくださる宴のすばらしさを、心から感じられる私たちになっていきたいです。私たちにとってこの具体的な毎日の生活こそ、神様からの招き、呼びかけを聞き取る場なのだと思います。何気ない人からの呼びかけを通して神様は私たちに語っておられるかもしれません。

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